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特集「美魔女」

2016年1月26日

特集「美魔女2」⑧ アイダ・ルピノ1 
二重結婚者(1953年 社会派映画)

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監督 アイダ・ルピノ

出演 アイダ・ルピノ/ジョーン・フォンテイン

 

シネマ365日 No.1642

元祖ハンサム・ウーマン 

二重結婚者(1953年 社会派映画)

アイダ・ルピノって、クール・ビューティというより元祖ハンサム・ウーマンです。どう考えても不思議だったのは、本作を監督したのが1953年。なぜこの時代、厳しい男社会のハリウッドで、女性が監督できたのか。彼女が初めて監督したのは同年の「ヒッチ・ハイカー」です。ルピノは1918年ロンドン生まれ。舞台芸人としてトップ・ネームの父と女優の母の娘に生まれた。この娘は、世間でこういう男親がいることは珍しくないが「もしこいつが男だったらなあ」と父親が思う娘であって(この子はいずれ脚本を書き監督し、製作する立場になる)と彼は考えていた。すでに子供のころに「監督業」はルピノに刷り込まれていたのですね。ハリウッドで映画に出演するようになって、キリッとした硬質の美貌で注目され、ハンフリー・ボガードと「ハイ・シェラ」で共演しました▼女優をやりながらルピノの関心はカメラの前でなく後ろに移っていきます。撮影技術や編集作業を観察する時間がふえ、それらに従事した。どれもみな興味がありました。だいたい映画会社の進める役は気にいらないことが多かった。ベティ・デイビスが断った役が彼女に回ってきたとき自分のことを「安物のベティ・デイビス」と言っています。女優をやっている限り、映画会社の家畜ではないか…結婚した彼女は夫といっしょに製作会社をたちあげ、監督に乗り出しました。映画の主導権を握るのは俳優より監督である。15年後これといっしょの発想のもとにクリント・イーストウッドが自前の製作会社「マルパソ」をつくっています。ベティ・デイビスも女優が映画作りに権限を持たされないことに造反し、アメリカがだめならイギリスでやるさ、と渡英して独立を試みましたが会社が裁判沙汰にし、デイビスは敗訴。これに懲りた原告側は大幅に譲って「脚本の書き直しを要求できる」など、デイビスの実質勝利になっています。ルピノはデイビスより10歳年下でした。余計なトラブルを起こさずうまく独立するには、相当用意周到にやらねばいけないとわかったのではないでしょうか▼ルピノの若いころの写真も年配になってからのものも、いかにも気性のハッキリした彼女の性格がよくでています。初めてみたルピノの映画が本作だったのですが、スクリーンに現れた彼女の初印象はきわだっていました。一言でいうと明晰でした。曖昧なところ、呆けたところが全然ない。映画はいまでいう独立系の低予算です。粗筋といえばタイトル通り、ふたりの女と結婚する調子のいい、というか優柔不断というか、やさしいがけじめがつけられない男ハリーの二重結婚。イヴ(アイダ・ルピノ)という妻がありながら別の女フィリス(ジョーン・フォンテイン)にひかれる。子供ができないと知ったイヴは夫の家庭用品販売ビジネスを手伝ううち、夫よりやり手になり会社を大きくする。夫は妻との間に距離を感じるようになる。夫婦というよりビジネス・パートナーという関係になってくる。イヴは実子ができないなら養子をもらおうと夫に相談した。養子手続きには細かな身上書が要るとわかり、ハリーは近いうち調査されると聞いて居ても立ってもおれない。というのもロスアンゼルスのフィリスに子供が産まれたのだ▼フィリスという女性は体調の不調をいぶかって問い詰めたハリーに妊娠を打ち明けます「あなたの子よ。ひとりで大丈夫だから気にしないで。男をしばったりしないわ。あなたに言わなかったのは産むなといわれるのが怖かったから。わたしにはなによりもこの子が大切なの」男は感きわまり「心配するな、産んでくれ」それどころか「結婚してくれ」と口走ったではないか。イヴは父親の死や、残された母親の世話でしばらく家をあけていた。帰ってみると夫には男の子が…裁判が開かれ判事は「二重結婚は存在する。男にはふたりの女性を養い子供を養育する義務がある。本日はこれにて休廷」。なんです、これ。べつに裁判しなくても言えることだろ。もちろんルピノが故意に曖昧にしているのです。愛情なんか結婚とか制度とか社会の慣習とかで裁ききれるものではない、男のいい加減さにはあきれるが、そんなやつに頼るしか女が生きていけないとすれば、社会が女に強いる立場そのものがおかしいのではないか。ルピノがそう思っているからこそ、故意にダメ男に設定したのだと思えます▼フィリスとハリーの出会いはビヴァリー・ヒルズ観光バスでした。バスがセレブの家を回るのです。この家がジェームス・スチュワート、ここがバーバラ・スタンウィックと。ハリーは映画スターの邸宅に無関心に窓外を眺めているフィリスに興味をもち話しかける。彼女は「バスに乗るのが好きなだけ」と答える。ハリーが妻以外の女に心を移した心境をこう自己分析する「おそらく孤独なせいだ。出張ばかりのホテル暮らし。新聞を読みながら一人で食事。まだ見ていない映画館を探して歩く。ロスの日曜の夜は強烈に孤独だった。電話をしても妻は経営者の仕事で頭がいっぱい。電話を切ったあとは孤独感が増した」なんだか都合のいい孤独って気がしない? それよりひとりでバスに乗るのが好きだという女のほうが、だれも助けてくれようのない、深い孤独をかかえているわ。

 

 

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