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特集 LGBTー映画にみるゲイ

2016年2月13日

特集 LGBTー映画にみるゲイ175 
泉のセイレーン(1996年 ゲイ映画)

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監督 ジョン・ダイガン

出演 ヒュー・グラント/サム・ニール/タラ・フィッツジェラルド/エル・マクファーソン

 

シネマ365日 No.1660

セイレーンが目覚める 

正しくは「ヒュー・グラント/泉のセイレーン」なのですけど、タイトルに名前いれるほど、ヒューさま、冴えていなかったのが残念ね(笑)。その代わり、実在の画家ノーマン・リンゼイになったサム・ニールや、リンゼイの絵のモデルのひとりエル・マクファーソンが光っている。マクファーソンは地元シドニー出身のスーパーモデル。本作に出演したときは29歳でした。「完璧なボディ」と呼ばれた肢体ですっぱりヌードになりました。ゲイ映画とはしたけど、やることが幼くてサバサバしていましてね。女が3人、寄ってタカってヒューさまの妻エステラ(タラ・フィッツジェラルド)を撫で回すとか、岸辺にあがった女の子を、ビショ濡れの服を脱がし、体中をさわる、要は彼女ら、お互いの身体にペタペタ触れるだけでそれ以上なにもしない。オーストラリアの豊かな森に囲まれた泉のそばで、若い女の子たちのセックスや好奇心が明るくて健康的で、全然問題ない(笑)。ヒューさまと、妻エステラは最初のうちこそ引っ込み思案だったけど、セイレーンのような女たちのそばにいるうち、彼女らの自然体にすっかり触発される▼時代は1930年代のオーストラリア。キリスト教を冒涜する絵を出品したリンゼイに、他の作品に変えるよう教会が要請したところ、リンゼイは拒否、マスコミに訴えると回答した。教会は若い牧師、アンソニー(ヒュー・グラント)に、赴任先に行く途中だから立ち寄ってリンゼイを説得するよう言い含め、彼と妻は出発した。画家のアトリエにはモデルもする画家の妻ローラと、3人のモデルがポーズを取っている。着衣がひとり、ふたりはヌード。きけば着衣のギディは処女で、裸になるのに抵抗があるそう。シーラ(エル・マクファーソン)とプルーはだれがいようと奔放な素っ裸。アンソニーとリンゼイは「キリストの冒涜」を巡ってそれぞれの意見を交換する。自分の芸術観を物静かに述べるリンゼイの大人の振る舞いに、アンソニーは(出品しても差し支え、ないンじゃない)なんて思えてくる。いい加減、と言って悪ければ物柔らかなアタマと態度の青年、とくれば、板についているのがヒューさま(笑)▼いくら堅物といっても男ですから、アンソニーの視線はそわそわと女たちに注がれる。エステラは図々しく、なれなれしい女たちに戸惑っていたが、岸辺でギディの服を脱がし、きわどい箇所にタッチするプルーとシーラをみて、自分も加わってあちこちいじりまくるのだ。崖の上から女たちの嬌態を目にしたアンソニーは、貞淑な妻の変化が信じられない。翌日水浴びにきたエステラは水に着衣のまま水に入り体を浮かべる。す・る・と、水の中から手が3本。普通は「ギャーッ」のはずが、エステラは予測していたように、手が胸や腹や足やらを撫でさするのに任せる。ガバーッと水中から顔をだしたいつもの3人はモミモミ・ナデナデに一生懸命。これ、牧歌的というのでしょうか。いくら田舎でもやることがヒマすぎません? 期せずして教会がリンゼイの絵の出展を認めたことで問題は解決。牧師夫婦はめでたく任地にむけ出発することに。そうそうひとり若い弱視の男子モデルがいて、彼は事故で喋れなくなったのだけど、積極的にエステラを口説くのです。エステラも満更ではなくとうとう…でもここはエステラの妄想のようにもとれる描き方です。とにかく決定的なシーンはなにひとつない映画です。べつにいいのだけど(笑)▼エステマは夫になにか打ち明けようとしますが、アンソニーは「愛し合っていれば、多少の秘密はあってもいい」と寛大な答え。自由で大胆かつ屈託のない、セイレーンたちの洗礼のおかげでしょうか。エステマの変化がドッキリです。左右に乗客がすわるコンパートメントで、向かい合ったアンソニーとエステマ。エステマは脚をのばすとアンソニーの股間をモミモミ。大きな本と上着で前部を隠したアンソニーはたまらず声を。なんという愛と平和にみちた映画でしょう。リンゼイは「最高のラブロマンスは実際におこらなかったロマンスだ」という言葉を残しているように、彼の絵じつのところ幻想的で、教会がヤキモキするような露悪的な表現はありませんでした。しかし現実の刺激的なセックスに目覚めたアンソニーとエステマは今後どうなるのでしょう。もちろん大きなお世話ですが。

 

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