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特集「ベストコレクション」

2016年3月9日

特集「春の麗らのベストコレクション」⑨ 
アリスのままで(下)(2015年 社会派映画)

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監督 リチャード・グラツアー/ワッシュ・ウェストモアランド

出演 ジュリアン・ムーア/クリステン・スチュワート

 

シネマ365日 No.1685

失われるものはなく 

アリスの意識は曇ってきつつあった。記憶とはアイデンティティーを保つための戦いでもあるのだ。思い出が大切であることは、それを記憶していることは自分の存在を把握していることなのだ。リディアはアリスに詩を読んできかせる。「わたしにしか見えないものを見た。魂が昇ってくる。はるか彼方の地球から。飢えや戦争や病気で死んだ人々の魂が。魂はスカイダイバーのように宙に浮かび、手足を曲げてくるくるまわり、クモのような網を作る。魂はオゾンと同じ分子構造だから、外縁はそれを吸収して修復される。永遠に失われるものはない。世界は痛みを伴う。失くしたものを求め、前進する夢をみる。わたしはそう思う」。アリスの表情は暗くどんよりし、言葉は明瞭に発せない。娘の朗読と、ものといたげな表情に、感謝か、感想か、詩への同意か、重いうめき声のような反応を示す▼ジュリアン・ムーアはアリスについてこう述べている。「アリスは自分とは何者かを問うているの。自己を形成しているのは、個人の経験や、感情や、知性でしょう。それが失われたら、その人になにが残るかを描いているの。病気の進行につれて、記憶だけでなく、他の脳の機能も失われていくわ。感覚を司る機能などがね。空間が把握できなくて、物体の影を穴だと認識したり、ドアの開け方すらわからなくなる。記憶の喪失とともに言葉を話せなくなる。言葉は思い浮かぶのに口からでてこなくなるの。そして病気とうまくつきあっていた患者も、進行につれて、ちがう症状に苦しむようになる」きけばきくほど重苦しくなる。「この映画はいちばん重要なのは周囲との人間関係だと伝えているわ。仕事にしても何にしても、本来は義務じゃないのよ。人間の唯一の義務は相手のために、だれかのために生きることなの」とジュリアンはいうが、それですむのだろうか。いちばん過酷な状態にいる本人に救いはないのか。そのヒントになるのは「アリスのままで」というタイトルだと思える。どんな状態になろうと、アリスはアリスで、アリスのままでいることがアリスの尊厳ではないのか。相手のためとか、だれのためとか、すべて忘れ、からっぽになった脳で存在するだけとしても、アリスのままでいることが、自分自身でいることなのではないか▼アリスのつぎに、難しい役づくりだったと思える、次女リディアのオファーを受けたのは「ジュリアンと共演できるから。子供のころから憧れていた」とクリステンは答えた。「ジュリアンはとても率直な人で、答えに説得力があるの。リディアは母の病気をきっかけに母親と向き合わざるを得なくなる。それまで彼女は学業より演劇に関心があり、演劇科の学士をとっていたほうが将来有利という、母親のアドバイスも受け入れなかった。でも病気が進行する母親と、折り合いをつけていこうと決心する。結局は折り合いをつけるしかない病気なのよ」。乾いた言い方ですが、家族のなかでたったひとり、母親のそばに残り、介護にあたる娘を、感傷を排除した、抑制の効いた演技で演じています▼監督はリチャード・グラツアーとワッシュ・ウェストモアランドです。リチャードがこの映画をとりたいといったとき、すでに筋萎縮症は進行していて、パートナーであるワッシュが共同監督として支えました。彼らは2013年に同性婚しています。アリスと同じ、アイデンティティーを保つ闘いが、リチャードにおいても、ワッシュにおいてもなされたことでしょう。言語の伝えにくさ、行動のもどかしさにもかかわらず、彼は最後までディレクター・チェアで指揮をとりました。リチャードは2015年3月10日没しました。ジュリアン・ムーアが本作で、アカデミー主演女優賞に輝いた授賞式を、彼は病院でみています。うれしかったでしょうね。「なくす技」はエリザベス・ビショップの詩です。亡くなった人の魂が地球から立ち昇る、それが宇宙の辺縁で魂は吸収され、永遠に失われるものはない—たとえ大脳が空白になったとしても、失われるのは記憶であって、魂は奪われるものではなく、失われるものでもない。アリスこそ、この思いを知り得た人だったにちがいありません。

 

 

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