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シネマ365日

2016年3月21日

特集「純愛物語」⑧ 
ビフォア・ミッドナイト(2014年 恋愛映画)

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監督 リチャード・リンクレイター

出演 イーサン・ホーク/ジュリー・デルピー

 

シネマ365日 No.1697

怒れ、セリーヌ 

特集「純愛物語」

乗りかかった舟です。三部作のいよいよ最終章。このつまらないシリーズを最後まで、われながらよくがんばったと自画自賛しました。前作に続き脚本はリチャード・リンクレイター監督と主演のイーサン・ホーク、ジュリー・デルビーの三人組。本シリーズをごらんの方は、もう察しがついていると思うけど、劇中のセリフは監督や役者個人の私生活や、経験に基づいている、そう考えてもいい。三番目の本作が、前二作よりはるかに力があったのは、セリフがほとんどジュリー・デルピーの独演だからだろう。いわば彼女の所信表明にパワーがみなぎっているのだ。イーサンが夜中に家を飛び出したセリーヌを追い、タイムトリップの話を持ち出し、自分がいかに妻を愛しているかを訴えてやっとなだめる。「ビフォア・サンライズ」から18年。27歳だった主演ふたりも45歳になっています。ジュリー・デルピーはお尻に肉がもりもり、ウェストのくびれのない典型的なおばさん体型。イーサン・ホークは、丸めたティッシュを引き伸ばしたような、顔中シワだらけで、お腹の出ているのがTシャツの上からでもわかります▼映画は相変わらず「あのときの」「このときは」の思い出話が続き、場所はジェシー(イーサン・ホーク)の先輩作家の別荘、ギリシャらしいです。そこに妻セリーヌ(ジュリー・デルピー)と招かれている。ということは、ふたりは結婚したのだ。双子の娘もいるのだ。よくきけば「あの日」(前作のラストシーン)空港に行くの、どうのと、ぐじゃぐじゃ言っていたふたりは、結局セリーヌのアパートにいたまま、何度もセックスして結婚に至ったもよう。イーサンには先妻との間に息子がおり、彼もさっきまで別荘にいたが、一足早くアメリカに帰るので、ジェシーは空港に送って行った、先妻はアルコール依存症で、そういう母親に息子を預けているのがジェシーは不憫であり、なにくれとやさしくする、セリーヌはそれが不愉快だ。こういう事態が引き起こされるのは、そもそもジェシーが結婚したからである。過去にさかのぼればのぼるほど、セリーヌは夫の「原罪」に思い当たる▼人生とは「その場、その場の積み重ね」だと、ジェシーがどんなにもっともな訓戒を垂れても(彼にはこの手のセリフが多い)、中年夫婦の思い出話につきあう気の長い観客ばかりではない、本シリーズの世間話の連続に、うんざりしていたのはひとり、わたしだけではないと思う。セリフとセリフの関連性が全然ないのもこの映画の特徴よ。悪く言えば「その場、その場の」思いつきで脚本はできあがり、関連性を考えなくてもいいから、むやみとキレイな文言がいきなり飛び出す。たとえば「たぶん僕たちは失望を知ってしまったのだ」。こういうことを言われたら、たいていの人はその気になるのが心憎いわよね▼しかし今回はやや異なる。セリーヌはお怒りである。ジェシーの息子に端を発して、夫に対する不満が、積乱雲のように盛り上がっている。「男性は年齢で比較するのね。ランボーは17歳でこうだった、フィッツジェラルドはこうだった、それにひきかえ自分は…と。女はあまりそういうことを考えない。比較する対象が少ないのかもしれない。成功した女性たちは50代で名を知られる。その前に認められるのは難しい。30年間苦労するか、子育てて家にしばられ何もできない状態が続く。だけど、むしろ自由だわ。ガンジーやキング牧師と比較しないですむわ」じわじわとセリーヌは攻撃の包囲網を縮めている▼ジェシーは言う「ジャンヌ・ダルクは10代でフランスを救ったぜ」セリーヌの目が光り「だれが彼女になりたがるのよ。火炙りの刑で、しかも処女で。あこがれる要素はゼロよ」。そして夫のあごひげに目をやり「ふしぎね。赤毛が消えたわ。赤毛に惹かれて恋に落ちたのに」「消えていないよ。白くなっただけだよ」「娘たちのまつげに赤毛があるの。あなたとの出会いを思い出すわ」しんみり言うが、またたく間に激発。「仕事場の冷蔵庫のマグネットにこうあった。〈広大な犠牲の座で女は永遠を探し求める〉と。1万年も続くこの世の現実よ。もうたくさん、わたしはそんな女にならない。ゲイとの結婚や避妊と同じ。多くの女のように希望を捨てはしない」。ジェシーは皮肉っぽく「抑圧をかかえるのはさぞ大変だろう。パリ中産階級の出身だしな。ポスト・フェミニズム時代のソルボンヌ(大学)で苦労したよな」「あなたってサイテー!」「理性的な話をしよう」「理性的ですって? わたしは非現実的でヒステリックの、ホルモン異常で感情的だってこと? 世界は理性的な男の愚かな判断で台無し、政治家は理由もなく戦争し、経営者は環境を破壊する」「シカゴで仕事をすることを考えてみてくれ」息子がいるシカゴにジェシーはパリから引っ越したいのだ。これが火に油を注ぐ。「なぜわたしが引っ越すの? なぜわたしがいつも妥協しなきゃいけないのよ。わたしが男に抱く恐れがわかる? わたしを従順な妻にしようとすることよ。子供が産まれたとき、赤ん坊を抱いて呆然としたわ。女は母性本能があるとだれもが言う、メス猿みたいに。わたしは立ち尽くすだけ。ふたりの娘を愛しているのになにをしても失敗」デルピーは自らの経験もあるかもしれないが、ここで多くの女性の焦燥を代弁しています。夫、というより男の理解の限界に、頭に来たセリーヌは部屋をとびだす。予定調和といえばいえるラストですが、3作のうち本作にいちばん力が入っていたのは、やはりジュリー・デルピーが前2作のどれよりも怒りをぶつけ、感情移入できたからと思えます(笑)。

 

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