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特集「美しい虚無-妄想映画の魅力」

2016年5月30日

特集「美しい虚無=妄想映画の魅力3」⑦ 
アンナ・オズ(1996年 サスペンス映画)

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監督 エリック・ロシャン

出演 シャルロット・ゲンズブール

 

シネマ365日 No.1767

どっかいけ、この映画

特集「美しい虚無=妄想映画の魅力3」

「わけがわからない一歩手前の映画」というのがあるわ。もともと夢オチとか妄想映画はヘタ打つと「さっぱりわけがわからなくなる」つまり観客不在になる危険性があります。作り手だけが映画の仕掛けにいい気になって、それだけに終わり「なんだ、これは、我慢ならぬ」という観客の怒りを買う。とはいえ一流の夢オチ映画は必ず明晰な答えをだして、わけがわからなくなる一歩手前で感動させ、スカッとするカタルシスを与えてきました。豊かなイマジネーションとファンタジーと映像技術を駆使したこのジャンルの名品・佳品は多いです。本欄「シネマ365日」シリーズで紹介したなかにも「アザーズ」とか「オープン・ユア・アイズ」、「マルホランド・ドライブ」「アンダルシアの犬」「昼顔」「パンズ・ラビリンス」「永遠のこどもたち」などがすぐ思い浮かぶ。それにしても本作だけは「一歩手前」ではなく完全に「わけがわからない」。前述した作品のなかでは「マルホランド」とか、お手上げしたくなる映画もありました。それでもデヴィッド・リンチにどんな企みがあるのだろうという興味のほうが強くて、二度、三度みてしまい(やっぱり、あいつの映画、普通じゃないな)で腑に落ちて納得してしまう。エリック・ロシャン監督についてはこれまで、わかりやすいスパイものでしか知らなかったから、空転直下、なぜこういうくだらない映画を撮るのか首をひねりました▼筋書きすら書くのが苦痛です。冒頭は水の都ベニス。美術館にヒロインのアンナ(シャルロット・ゲンズブール)がいて、館内を見て回る。不届きな男が額縁の絵を切り取っている。絵画泥棒の業界の決まり事なのかどうか、キャンバスのふちをナイフで切り取るのが盗み方の常道なの? 美術品に対するこういう無神経なやりかたからしてついていけない。どうせなら額縁ごと盗めよ。盗みの現場を目撃したアンナは美術館の外で男につきまとわれる。でもそれは夢で、現実のアンナはパリの自分の部屋で、恋人のそばでまどろんでいる。兄マルクがいて、何年も会っていないが、アンナの同僚女子はマルクとつきあっている。同僚を介して兄とよりを戻すでもない。美人だけど人間関係の持ち方が奇妙な子なのである。その夜また夢の続きを見る。夢のアンナはベニスの大きな屋敷に住むセレブだ(シャルロット・ゲンズブールだとどうしてもこうなるのでしょうか。イージーなコミックふうです)▼作品全体に小奇麗な雰囲気がただよっていまして、アンナの恋人は目覚めたアンナにこう話しかけます。「夏の毒々しい陽射しの下、彼女は疲れた体を横たえる。ぼくはその乳房の陰に眠り、彼女の夢に身を浸す」素敵な詩でしょ(ボードレールだもの)。夢と現実を往還するようになったアンナは夢のアンナに言う。「いやな女。わたしを殺そうとしたでしょ」。ベニスの女は女で「パリで殺しをするの。わたしの部屋に住む女を」。ふたりはお互いをはじきだそうとしてパリの女は「夢の中は快適だわ。悪いけど消えるのはあなたのほうよ。あなたはもう存在しなくていいの。自分で終わりにするのね」とあんに自殺をほのめかす。ベニスの女も黙っていない。「ここは彼女の夢のなかよ。確かめたい? パリの家に電話して」電話は「アンナ・オズです。外出しています」。アンナはセラピーに行く。セラピストがアンナの手を取り「限りなく青い空、ブルー、ブルー」とかつぶやきアンナは夢のなかに入っていく。セラピストが質問する「あなたは一度もベニスにいたことがないの?」「「一度も」「なぜここにいるか説明できる?」「夢だから」「つまり今は夢の中で、夢をみているあなたはパリにいるのね」「今は寝ているわ。カーン先生(精神科医)の診察室で事件解決を手伝っているわ」(臓器売買事件にアンナは巻き込まれた)。「診察中ってこと?」「そうよ」セラピストはパリに電話する。「カーン先生、わたしと面談中の患者が、お宅で診察中だというのです。名前はアンナ・オズです。わたしの診察室にいて、そちらに電話するように言うのです」「彼女は今わたしのところにいます。あなたも診察が必要では」▼うんざりしてくるが我慢してみる。パリのアンナはだんだんベニスの女に乗っ取られていき、階段から身投げして病院にかつぎこまれる。恋人のマルクはベッドにつきそうが回復のほどはわからない。昏睡中のアンナは夢の中でベニスにいて、美術館でフィレンツイエから来たという青年(これがマルコ)と出会い、運河のそばで言葉をかわし、自分はこの町で父を暮らしているといっていっしょに歩いて行く。つまりアンナの人格は完全にベニスの女に植民地化され、パリのアンナは人事不省のまま眠り続け、夢の中のベニスで生きるのね。勘弁してくれ。おやすみ。せめてもうちょっとましな夢をみたいわ。

 

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