女を楽しくするニュースサイト「ウーマンライフ WEB 版」

  • facebook
  • twitter
  • line
  • rss
  • ブックマーク

特集「最高の悪役」

2016年6月4日

特集「最高の悪役」④ アンソニー・ホプキンス 
羊たちの沈黙(1991年 社会派映画)

Pocket
LINEで送る

監督 ジョナサン・デミ

出演 ジョディ・フォスター/アンソニー・ホプキンス

 

シネマ365日 No.1772

知性・品格・狂気

特集「最高の悪役」

何度か見返して、その都度思うのですが、初対面のときから、クラリス(ジョディ・フォスター)はハンニバル・レクターにシンパシーを感じている、少なくともジョディはそんなふうに演じています。薄闇の獄舎の中央に、レクター博士は青い影のように立ち「ハロー。クラリス」と静かに声をかける。ジョナサン・デミ始め、その場にいた撮影スッタフは、彼の声を聞いた瞬間、レクターはホプキンスで間違いなかった、この映画の成功を確信したというのです。公開10年後にそのインタビューはなされていますが、彼らの印象は決して大げさではないと思えます。ホプキンスはレクターについて「わたしたちの心の暗部を具現化した男。精神の暗部とは人間の最も創造的な部分だからだ。人生には暗部がある。人生の暗部を否定すると人生はつまらなくなる」と分析しています。レクターの声のイメージが先にわき、クラリスを迎えるときの体の位置も自然と決まったとも。初対面第一声の声にクラリスは繊細に反応しました。人間には心の暗部がある。それを確信している男の声に▼クラリスはFBI実習生です。成績はトップだがまだ犯罪の実態を、そして人間のなんたるかを知らない。レクターは魔のような観察と洞察力で、たちまちクラリスを丸裸に剥いてしまいます。「エビアンのクリームをつけているね。香水はレール・デュ・タンだけど、今日はつけていない。高価なバッグに安物の靴。野暮な服装。栄養はよく背は伸びたが、ご両親は貧しい階層だ」クラリスはのっけから翻弄されます。彼女はレクターがワインのつまみに人の肝臓を食った凶暴な殺人犯だと知っています。残酷で危険で、異常な社会病質者であるにもかかわらず、彼が備える知性と品格と狂気に圧倒されます。クラリスが欲しがる情報をレクターはなかなか与えない。クラリスは「本当は何も知らないのでしょ」と怒る。レクターはまるで生徒に諭すように言って聞かせるのです。「資料を読めば全てわかる。マルクス・アウレリアスの哲学書を読め。物事の本質を探れと書いてある。諸君が追い求める男は何をしている?」「女を殺している」「ちがう。それは二次的なものだ。本当は何だ。彼を殺しに駆り立てているものは何だ。怒りか、性の抑圧か、社会の冷たい仕打ちか。ちがう、極度の切望だ。切望の始まりは何だ。まず欲しいものを探すことだ」クラリスはレクターが凶悪犯であることを忘れ、彼との会話に、いつしか知的興奮を覚えます。この映画は思い切りあっさり言ってしまうと、クラリスとレクターの会話を軸に成り立っている「ふたり劇」です▼もうひとつ、クラリスはレクターに他の男たちが女を見るような差別や蔑視を感じていません。デミ監督は「FBIが完全な男社会であることを知らせようと」次のシーンを撮ったといいます。クラリスがエレベーターに乗る。男ばかりの実習生がぎっしり。特に小柄なジョディ・フォスターは、男たちの胸のあたりまでしかなく、埋もれてしまいそうだ。現場は女の捜査官に何ができると言われんばかり。犯罪者という悪と、偏見と言う無知の森の中に踏み込んだクラリスは、レクターという、悪夢のようなモンスターに出会ったのですが、彼には無知も偏見もなく、あるのは知性を磨こうとしない者への激しい軽蔑でした。レクターは初対面でクラリスの深い絶望を見抜きます。幼くして両親に死なれ、施設に入って苦労して大学を出て、父の遺志を継ぎ、犯罪から社会の弱者を救おうとしている。しかし「女が出る幕じゃない」という通念の壁は厚く、時として自信を失いかける。レクターは言います「君は非凡だよ、クラリス。勇敢なクラリス」このときのホプキンスの、やさしいとも言える声と語調も、ぜひ聞き取ってほしい▼声ばかりではないですよ。デミ監督は本作でクローズアップを多用しています。スクリーンに大きく映し出されることは(ホプキンスがいっていましたが)カメラのピントをずらさないために、まばたきできないそうです。「ジョディは一度もまばたきしないのだ」とホプキンスは感心していましたが、彼も大変だったでしょう。印象的なシーンがありました。二度目の訪問のとき、倉庫で発見した首だけの男の死体について、クラリスの質問にレクターが答えるのです「首の主はラスペール。元わたしの患者だ。セックス面で変態だった。隔離したよ」「だれが殺したの?」「さあね。でも彼にとっては幸せだったよ。治療は不可能だったからね」「女装趣味だったの?」「違う。典型的な躁うつ症だ」。レクター博士の声には遅疑も迷いもなく、クラリスはなぜか彼を信じられるのです。クラリスとレクターの共感共鳴こそ、彼らだけに聞こえて響きあう響きでした。説明や解釈を一切拒否する「魔」のようなものを、二人の名優は表情から、声から、後ろ姿から、立ち姿から、視線から放っています。それこそが演じるに足る、表現するに足る、心の暗部であるかのように。

 

Pocket
LINEで送る