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特集「ベストコレクション」

2016年7月6日

特集「7月/真夏のベストコレクション」⑥ 
クリード チャンプを継ぐ男(2015年 家族映画)

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監督 ライアン・クーグラー

出演 シルベスター・スタローン/マイケル・B・ジョーダン

 

シネマ365日 No.1804

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特集「7月/真夏のベストコレクション」

ロッキー(シルベスター・スタローン)は、アポロ・クリードの息子アドニスのトレーナーを引き受けた。アドニスは、宿敵にして親友アポロが愛人との間にこしらえた子だ。母親は死に、施設を転々としていたアドニスを、アポロの妻が引き取り、アドニスは大学を出て就職、勤務は優秀、昇進したばかりなのに辞表を出す。理由はボクシングをしたいから。母親の家も出て彼が向かったのはフィラデルフィアのロッキーのレストラン「エイドリアンズ」。ロッキーは断るが、アドニスの素質を見て考えを変えた。「訓練は過酷だぞ。耐えられなければ俺は降りる」。どんなトレーニングから始めたかといえば、彼が教わったニワトリを捕まえることから。基本を一通りマスターしたころ、ロッキーは体調を崩し、検査の結果は「悪性リンパ腫」▼初期だから治る可能性はある、医師にそう言われたにもかかわらずロッキーは治療を拒否する。「女房も同じ病気だった。治る見込みがあると言われて治療した。でもダメだった」「科学療法をやらなきゃ、死ぬのだろ」とアドニス。「かもな」「正気か!」「構わん。何もしなくていい。もし願いが叶うなら長生きするより1日でいい、女房と過ごしたい。そうすれば思い残すことはない。だがありえない。愛する者たちは去り、オレだけが生き残った。それは仕方ない。俺は諦めている。病気になってもジタバタしないと。お前はいいやつだ。すごいボクサーになれる。だがオレはどうだ、壁のボクサーたちと同じさ」ジムの壁に歴代チャンピオンの肖像が貼ってある。「つまり、歴史だよ。終わった人間なのだ。過去の遺物でただの老トレーナーさ」シルがしょんぼりとこんなセリフを言うのだ。エイドリアンが聞いたら泣くだろう。いつの間に亡霊のような男になったのだろう。年は取らせたくない。そう思っているに違いない。アドニスにとって、ロッキーは父の好敵手にして人生のパートナーだった。ロッキーがいたからアポロもいた。比類なきボクサーにして、ヒーローだったリングの男たち。ロッキーから死にたいという言葉を聞くのは耐えられない。タイトル挑戦を目前になにをいいだすのだ。アドニスはムカついて「あんたが戦わないのならオレもやめる!」子供の言い合いみたいですが、とりあえずこれで収まったのだからけっこう▼あとは定番の、恋人の出現があり、アドニスの厳しいトレーニングを、点滴を受けながら窓から見守るロッキー、髪の毛は抜けて地肌にまばら、声は弱々しく、リングサイドに立つ姿は幻影のようにはかない、そんなシーンが続く。そしていよいよチャンピオンとの試合。伝説のアポロ・クリードの息子という前評判でスタジアムは超満員。チャンピオン優勢のうちに試合は進むが、ロッキーの次々放つ指示が功を奏し、クリードが盛り返してくる。チャンピオン、ダウン。手に汗握るシーン…やっとここに至って「ロッキー」は「ロッキー」らしい興奮を掻き立ててくれるのですが、それまでの平坦な叙事と、先の読めすぎる筋運びがたたって、一向に盛り上がらないのだ。かろうじてタイトルを守った勝者が「次のチャンプはお前だ」なんて、リングの上で自らの幕引きを表明するようなチャンピオンがいるだろうか。で、この先どうなったか。クリードとロッキーは今や観光名所となったフィラデルフィア美術館の「ロッキーのステップ」を上がり、ロッキーは「昔はここを走って昇ったものだ」なんていいつつ、背中を曲げてヨボヨボと上がっていく▼だれが見たいのだ! こんなロッキー。それに「チャンプを継ぐ男」はだれでもいいが、ロッキーはシルしかいないのだ。アポロに愛人がいて、しかも男の子を産んでいたなんて、スピンオフの本作のための、にわか仕立てもいいところではないか。シルは本作でアカデミー賞助演男優賞の候補になったが結局ウィナーではなかった。世間は意地悪で、仲のいい友達や家族に先立たれ、老後の孤独と寂しさにうなだれ、弱みを見せた人間にはやさしくなるのだ。あの佗しい一連のセリフには、胸の詰まる人生の真実がある。でもやっぱり「こんなロッキー、見たくない」と大半は断じたに違いない。シル、いっそクリードが病に侵され、君がチャンピオン戦に出るSFのほうが、オスカーを受賞したかもしれない。もう一つ、最高の盛り上がりのシーンに「ロッキーのテーマ」を鳴らせとまではいわないが、あらゆるシーンで本作は気が抜けているのだ。それじゃ今までの「ロッキー」は二番煎じもいいところじゃないかと言われるかもしれない。いいや、違う。あれは古典なのだ。歌舞伎や忠臣蔵と一緒で、何十回同じものを上演しようと納得する。「ロッキー」はほぼ完璧に出来上がった「型」の映画であり、人間の業のようなものを、きっちりドラマに嵌め込んでいたからだよ。

 

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