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特集「ベストコレクション」

2016年7月8日

特集「7月/真夏のベストコレクション」⑧ 
顔のないヒトラーたち(2015年 社会派映画)

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監督  ジュリオ・リッチャレッリ

出演 アレクサンダー・フェーリング/フリーデリケ・ベヒト

 

シネマ365日 No.1809

有罪と無罪のあいだ 

アウシュビッツ収容所で、ユダヤ人虐殺に関わった8000人の容疑者たち。戦後20年ののち、ドイツ人はいちばん忘れたいことを蒸し返されたのね。正確にいうと蒸し返されたことにはならない。「アウシュビッツを知っているか」のグニカル記者の質問に、検事のヨハン(アレクサンダー・フェーリング)さえ「保護拘禁用の収容施設だろう?」程度の理解でした。彼らが人類史上未曾有の悲劇として「アウシュビッツ」に取り組まず、裁判に持ち込まなかったら、収容所の生存者たちも息絶え、ひょっとして「アウシュビッツ」は「昔、あそこに捕虜収容所があった」という遺跡でしか現在に伝わっておらず、事実は闇に葬られていたかもしれない。何しろニュールンベルグ裁判ですべて決着はついた、それが大方の見方でしたから。「顔のないヒトラー」とは、収容所に関わった8000人のドイツ人のうち、収容所の生存者211人の証言により、19人の親衛隊員が収容所での罪を問われ、17人に有罪判決が下りた「フランクフルト・アウシュビッツ裁判」に至るまでのプロセスを明らかにした映画です。大半のドイツ人がその事実を知りませんでした▼生存者シモンは、幼い双子の姉妹二人をナチに連れて行かれた。行く先は病院だと告げられ、安心した。そこでなされたのは治療ではなかった。娘たちはチフスなどの病原菌を体内に注入され、麻酔もなく内臓を摘出され、背中で縫い合わされ放置されて死んだ。一部の収容者たちは溺死するまで水槽に沈められた。冬の夜に屋外に立たされ凍死したケースもある。収容者を死ぬまでブーツで蹴り続けた。犬を放し収容者を電気柵に追い込んだ。それらは命令ではなく個々人の意思で行われた。しかし調査を進めるにつれ、ナチスの罪を暴くことにのめり込んだヨハンの判断は善か悪か、有罪か無罪か、断罪することに足を掬われていきます。ナチスは悪だ。悪には違いない、しかしヨハンの母はいいます「あの当時国民はみなナチだったの。入党しなければ生存できなかったのよ」「ウソだ。父さんはちがった」母は哀れむように「父さんがちがった?」▼ヨハンは法曹界の重鎮だった死んだ父が、ナチの党員だったことを知る。失望なんてものじゃない。だれもかれも信用できない、「みな同じだ」。さらに盟友グニカル記者までが、収容所で「逃走中の銃撃」に携わったという。収容者の帽子を柵の外に放りなげ、取りに行かせて背中から撃つことだ。「逃走中」だから射殺しても構わないのだ。毎日のように、ゲームのようにそれがなされた。ヨハンにとって、父も親友も「犯罪者」だった。無力と隔絶感のあまりヨハンは辞表を提出、民間会社の弁護士となるが、「顧客最優先」の法の運用に失望する。ヨハンは病院で死期の近いシモンに頼まれた。「俺にとって神はいない。でも娘たちはちがう。死んだ収容所に行って、祈りを捧げてくれ。グニカルを連れて行け」。ヨハンはグニカルとアウシュビッツに来る。広々とした土地に牧草が生い茂っている。グニカルは「傍観していた」自分を恥じていた。ヨハンに訊く。「仕事をなぜ途中で投げ出す」「他人を裁く自信がない。僕が兵士だったら同じことをしたかもしれない」「的はずれだぞ、ヨハン。ここが何に見える」「アウシュビッツだ」「ちがう。ただの牧草地だ。アウシュビッツはこの地に眠る記憶だ。もし俺たちが裁判を起こさなかったら忘れ去られるのだ」「どんな罪かわからない」「罪でなく、被害者とその記憶に目を向けろ」。二人の青年は石を積みはるかな草原に立ち、祈りを捧げる。罪か罪でないか、有罪か無罪かではなく、そこで生きた人間の記憶、自分と同じ骨肉を持った人間が、いきなり夢も愛も家族も未来も断ち切られた無念。嘆きか悲しみか、怒りか虚しさか、どう呼ぶべきかもわからない心情に思いを込めたとき、初めて、ヨハンは荒々しい感情に突き動かされていた▼彼は復帰します。検事総長バウアーの部屋を訪れたヨハンに、保留にしておいた辞表をだし、バウアーは黙って破り捨てる。元の同僚とのオフィスで「戦友たち」は温かく迎える。本作で出番は少ないが、女優二人が重要な役を演じています。一人はヨハンの婚約者マレーネ(フリーデリケ・ベヒト)。周りが見えなくなり、挫折と頓挫を人のせいにし、仕事を投げ出したヨハンに失望し、別れを告げます。復職したヨハンに彼女は仕立て直したジャケットを持ってくる。「もう一度これを着て」やり直そうという励ましです。ベヒトは「ハンス・アーレント」で、大学時代のアーレントを演じた、見るからに理知的な女優です。もう一人はヨハンの秘書のエリカ(ハンシ・ヨクマン)。貫禄たっぷりの中年の女性で、ヨハンの心意気を買い、膨大な資料との格闘、データの整備、それこそ寝食を忘れ損得なしに協力するのですが、肝心のヨハンが「ヤ〜メタ」のときは怒りも露わ。「今までありがとう」ヨハンが挨拶しても「聞きたくない!」木で鼻をくくるように言います。でも彼が復帰したときは手放しで喜ぶ。ヨハンのように声高ではありませんが「正義とは」この重い問いにかける責任と信義を、彼女もまた堂々とになっています。▼最後に、問題を抽象化しないために、もし自分の父と母が、自分の知らないうちにナチ党員となり、死後彼らの所業が明るみに出たとき自分はどうするか、考えました。有罪かもしれない。どんな状況だろうと手を下してしまった。でも有罪と無罪だけで人は裁けるのか。自分に神さまがついていて訊かれたらならこういう。「お前の父と母がしたことをどう思うか」「よくないです」「断罪するか」「いいえ。ジタバタと奔走し、最後まで刑務所に面会に行きます」「お前の言うことは矛盾している」「戦争なんて狂った状況でやったことを、冷静な現在に裁くことに極限の無理があります、人間、イカレタ状況になると何をするかわからない。そういうふうに人間を作ったの、あんたでしょう」「人のせいにするのか」「自分の創ったものができそこないばかりだからって、いまさら文句いうんじゃないわ。わたしはそんな父も母も愛し、もう一度生まれ変わっても同じ父と母を選びます。わかったら消えて」

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