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シネマ365日

2016年8月19日

特集「懐かしい、あいつら1」⑩ 
ミス・ブロディの青春(下)(1969年 社会派映画)

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監督 ロナルド・ニーム

出演 マギー・スミス/パメラ・フランクリン

 

シネマ365日 No.1848

それでも地球は回る 

特集「懐かしい、あいつら1」

ブロディはだれもいない教室にきた。長年生徒たちを教えてきたこの教室を去らねばならない。サンディが入ってくる。ブロディは力なく話かけた。「サンディ、私はどうやら盛りを過ぎたみたい。まだ50歳までは続くと思っていたのに」。だれが見てもブロディは独身のハイミスである。でも彼女の信念は「今が青春」だった。その言葉通り生き生きと教壇に立ち、生徒たちの尊敬と共感を集める華やかな存在だった。心から生徒を愛し、生徒たちもまたブロディを愛したのだ。サンディは「ブロディ組」の中でいちばん頭がよく、しっかりしている生徒だった。軽率に反応しない自己抑制力のある子だった。「このままは引き下がらないわ。異議申し立てをするわ。生徒はわたしの味方よ。でもだれかがわたしを裏切って理事会に密告したのね」。ブロディは独り言のように続けた▼「ロイド先生(テディ)はわたしを熱愛していた。でもわたしは生徒たちのために結婚をあきらめたの。あなたやモニカや、ジェニーのために」ブロディが名をあげたのはみな「ブロディ組」だ。ジェニーはいずれロイド先生の恋人になるわ」かつてブロディはテディにこう言ったことがある。ジェニーについて「人を欺くあの純真な顔立ち。きれいだけじゃない、若々しく奔放な官能の塊よ。いつも思ったわ。ジェニーは並みの恋人をはるかにしのぐ存在になると。あなたはいつかきっとジェニーを描くわ」「つまり自分の代わりにジェニーと寝ろということか」。そういう経緯をサンディは知らない。彼女は斬りつけるように言った。「あなたは愛を支配する神だとでも。ジェニーはだれの恋人にもならないわ。テディの恋人はわたしです」「あなたが?」「特に誰かさんでなくても、彼はいいのよ」あの冴えない中年の二流の画家の恋人ですって…でもサンディはリアリストだ。「わたしたちは彼の頭に惚れたの?」恋だの、愛だのではない、セックスしただけではないか。さらに「メアリーは死んだのよ。それなのに、あなたの優先順位は第一に裏切り行為はだれか。第二にテディと寝たのはだれか。最後にメアリーの死よ。あなたがスペインに行かせたのよ。責任を感じないの。殺されるのは美しいの。あれは無駄死よ。お兄さんを追ってフランコ軍に行かせるなんて。お兄さんは人民解放戦線側なのよ。あなたは自分が有毒だとわかっていない。メアリーを殺したのはあなたよ。あなたは滑稽よ。異議申し立てですって。あなたは不死鳥ね。危険なのはあなただということがわかっていないのね。自分を征服者だと思っているのよ」▼サンディの意見の是非を云々するより、とりあえず感心してしまった。自分の意見を主張し、教師と対等にやりあう生徒って立派ね。これだけの論陣を張れる女生徒が高校生にいるかしら。しかも内容が観念的でなく、感情的でなく、センチでなく、友だちの死が無駄死だった冷酷な事実を認め、教師がそれを誘導した、結果的にそうなったことを弾劾している。校長や理事会の決定には屈服しなかったブロディが、サンディの指摘を受け、学校を去ります。卒業式の当日、サンディやブロディ組はめでたく校門を出て行く。そこにブロディ先生の姿はない。彼女の口癖だけがモノローグで流れるのだ。「わたしは教職に人生を捧げます。生徒はわたしの命であり宝です」。学校を去ったブロディ先生の「その後」を映画は描いていません。でもそこに、この映画の「含み」があるような気がするのです▼何しろ今から半世紀近く昔の映画ですからね、出る杭であるブロディはなんとか落とし前をつけさせないといけなかったのだと思うわ。サンディの指摘は正しいし、ブロディ自身、見かけほど過激思想だったのかどうかわからない。活気のない低周波の中で、多少とも目立つことは宝塚のノリに近い快さがあったと思えます。校長や理事会だって、ブロディが徹底抗戦したら学校のスキャンダルになるのはわかっているし、そんなトラブル学校に親は子供を行かせるはずがない。経営に支障が出るのは目に見えています。だからサンディの登場は、ブロディという「ですぎた杭」の、よくできた幕引き役であり、穏当な処置なのね。そもそも教職を天職とする熱心な女性が、仕事に熱心なあまり婚期を逃した、これが一方的な見方なのよ。ブロディは仕事に打ち込むのが快適で、結婚したくなかったのよ(笑)。それを「結婚できなくなった女」は社会的に葬るしかオチがないとしたのが、やはり時代の制約でしょうね。ブロディが今を、多様化したそれぞれの力と能力を認め会おうという今を、見たらなんと思うかしらね。映画がブロディの「辞めた後」に触れなかったのは賢明かもしれません。それでも地球は回る、それでも世の中は変わるのだという、含みだったとすればね。そう思いたいわね。

 

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