女を楽しくするニュースサイト「ウーマンライフ WEB 版」

  • facebook
  • twitter
  • line
  • rss
  • ブックマーク

シネマ365日

2016年8月21日

特集「懐かしい、あいつら1」⑫ 
燃えよドラゴン(1973年 アクション映画)

Pocket
LINEで送る

監督 ロバート・クローズ

出演 ブルース・リー

 

シネマ365日 No.1850

驚異の肉体 

特集「懐かしい、あいつら1」

映画とは教訓を垂れるものでもなく、説教を聞いてありがたがるものでもない、人間を故意に美しく見せるためのものでもなければ、愚かだと決めつけるものでもない、しかし映画に表れた「誇張されない本物」が、それだけでわたしたちの心を奪うと書いても、少なくとも本作のブルース・リーについてはお叱りを受けることはあるまいと思えます。映画が公開されたとき、彼がすでに32歳という若さで故人だったことが、いやましに「ブルース・リー伝説」に拍車をかけましたが、これはジェームズ・ディーンや、本当はそうでもないのに天才だと持ち上げられる詩人や作家と一緒で、若くして死ななければ得られないものってあるのよね。アメリカ大統領は政策より暗殺されて名を残すと、意地悪な人が書いていなかった? 故人をいう場合、必ず誇張が付いて回ります。弔辞などその最たるもので、弔辞を聞きながら「一体だれのこと?」と思うのは棺の中の本人ではないでしょうか▼でも本作は違いますよ。「誇張されない現実」と書いたのも、ブルース・リーの肉体そのものがこの映画だからです。彼がアメリカに来てマーシャルアーツの道場を開き、リンダ夫人と結婚し、ほどなく背骨の大怪我をします。何ヶ月もベッドに縛り付けられ、絶望していた。リーはワシントン大学で哲学を専攻したほどの思索的な青年で、入院中、万巻の書と例えるのが決して大げさではないくらい読書に没頭しました。中には実技のハウツーものもあったでしょうが、苦難をいかに乗り越えるか、武術とは何か、武道家とは何か、テーマはそれだったと思います。というのも本作の冒頭、リーが師匠と交わす質疑応答はこうです。師匠が「武道家としての哲学をきこう」。例えば求職の面接で「この仕事に関する君の哲学を述べよ」と質問をされたら、あまりの真っ向勝負にオタオタ、取り付く島もわからないのが関の山ではないですか? 昨今みな、軽い質問に慣れているし。でも考えてみれば、自分なりの、たとえ「哲学らしきもの」であっても、アイデンティティーを言葉にできることは面接の常道です▼「究極の技とは何だ」と師匠。弟子「型を持たぬことです」。師匠「敵の前で何を思う」弟子「敵などいないと思うことです」「なぜだ」「わたし、など存在しないからです。優れた武道家とは緊張を解いても油断しない。無心になっても虚ろではない」さっぱりわかりませんが、何となく深いことを言っているような気がしません?(笑)。こう言う不可解な問答なんかアテにならぬ、と思ったなら、いよいよブルース・リーの肉体を検証してみよう。いくつか残された写真があります。生まれたばかりの長男ブランドンを抱き、こぼれるような笑顔の父親リー。いい顔なのですけどね、「ドラゴン」の顔と比べるとまるで別人です。上半身裸の写真もありますが、筋肉のつき方が同一人物とは思えない。人間の肉体とは、かくも段違いな美しさを見せるものか。なりふり構わず書けば「ドラゴン」とは、ただただリーに、彼の肉体に見惚れるばかりの映画であり、それで事足りる映画です。あらすじ? そんなもの、どうでもよろし▼肉体、肉体とさっきからバカみたいに繰り返していますが、もちろん技を伴った肉体のことです。傑出したボディビルダーもまた、無駄な筋肉は1グラムもない威容ですが、どこか人間離れしたそれになんだか怖くなる。でもリーの肉体は華奢でほっそりし、全身が武器です。跳ぶ、飛ぶ(文字通り飛翔する)、叫ぶ。改めて見直して気がついたのは、攻撃のときもさることながら、静止したときの、ピタッと決まった構えの美しさ。野生動物のような眼光の鋭さ。隙がないということはかくまで魅力的なのか。つくづくと見惚れます。本作のブルース・リーとは、一言でいうと平凡化された世界と無縁の存在です。ヒーローか。いや違う。たとえに困るが、あえていえば、トラやヒョウやワシの強さと一緒で、彼らの非凡とは、彼らにとってありふれた域であり、彼らの「平凡」の中にいるのだ。

 

Pocket
LINEで送る