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特集「女のわがまま」

2016年9月24日

特集「橋をめぐる映画」①
サン・ルイ・レイの橋(2004年 社会派映画)

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監督 メアリー・マクガキアン

出演 ガブリエル・バーン/キャシー・ベイツ/ハーヴェイ・カイテル/ロバート・デ・ニーロ/ジェラルディン・チャップリン

 

シネマ365日 No.1884

死に架かる命の橋 

特集「橋をめぐる映画」

橋は異なる世界をつなぐ場所。生と死、此岸と彼岸、出会いと別れ。日常という橋をわたったらそこは異界。イマジネーションをかきたて、想像に翼を与えただけでなく、人生の悲劇と喜劇を生み、映画の、小説の、絵画の、歴史の密やかな主人公ともなってきました。映画では第二の主人公が「橋」だという作品も少なくありません。子供のころ「橋からの眺め」という映画を見て、内容がさっぱりわからないのに、主人公が(ラフ・バローネでした)橋に寄りかかって遠くを見ている光景と、「橋からの眺め」というタイトルそのものが物語の興奮を与えてくれたことを覚えています。「橋」は今も昔も映画づくりの大事なファクターを受け持ち、それがはめ込まれないうちは映画が完成しない最後のピースです。「サン・ルイ・レイの橋」は、ペルーのリマの奥地の渓谷にかかる長い吊り橋、時代は18世紀の異端裁判、一級の役者たちの発酵させる詩的興奮が、応えられません▼サン・ルイ・レイの橋が落ち5人が死んだ、一歩違いで命が助かった修道士ジュニパー(ガブリエル・バーン)は、不思議な神の啓示を聞く思いがした。人は偶然に生まれ、偶然に死ぬのか、そこには何らかの神の意志や計画、何らかの型は働いていないのか、あの5人はなぜ死に自分は助かったのか。修道士は5人の人生をたどり、死の理由を見出そうとする。そして6年、神の所業に疑念を挟むのは教義に背くことだとして、修道士は大司教(ロバート・デ・ニーロ)の前に引き出され、異端裁判にかけられている。不慮の死を遂げた5人とはモンテマヨール侯爵夫人(キャシー・ベイツ)、彼女の侍女であり修道女見習いのペピータ、劇場主アンクル・ピオ(ハーヴェイ・カイテル)、女優がペルー副王との間にもうけた幼い息子、双子の弟を事故で亡くし、航海に出る寸前だった兄エステバンだ▼侯爵夫人の娘はスペインの貴族に嫁ぎ、母親を顧みようとしなかった。母親は娘の要求があれば金を送り、宝石を送り、異国の嫁ぎ先で立場が少しでもよくなるように心を砕いていた。彼女の侍女になったペピータは、奇行の女主人だと聞いていたが実際に仕える夫人は知性的で、読み書きができるばかりか、娘に当てた手紙は見事な文章だった。5人の中でキャシー・ベイツの演じる侯爵夫人に、監督は最も多量の光を当て、孤独で教養があり、慈愛に満ちながら、報われぬ彼女の悲しみを浮き彫りにしています。アンクル・ピオは女優のペリチョーレが12歳の時から引き取り、娘同様に育ててきた。女優としての素質にも美貌にも恵まれ、副王の愛人となって男児を産み、天然痘にかかり田舎に隠棲し誰とも会わなくなった。ピオはある日彼女を訪ね、息子の教育のためにもリマで育てたいと説得し、その日息子を連れて橋にさしかかった。エステバンは何をするにも一緒だった弟を死に別れ生きる気力を失い、首を吊ったところを、船長アルバラード船長に助けられた。彼は昔最愛の娘を亡くしていた。船のこと以外無口な男だったがこういった。「エステバン、できることをやれ。精一杯生きろ。そうするしかない。いつか時が忘れさせてくれる。振り返れば時の早さに驚くだろう」。ペピータは夫人の目を盗んで修道院長(ジェラルディン・チャップリン)に手紙を書いた。「早く修道院に帰らせてください。神に仕えたいのです」「何を書いているの。手紙ね?」それを読んだ夫人はペピータを叱らず「美しい手紙」だと褒める。ペピータは変人扱いされている夫人がいかに聡明な、思いやりのある女性かを知っていた。彼女は恥じ入り自分の手紙を破き捨て、夫人とともに聖地巡礼に出発、そして橋を渡る日が来たのだ▼修道士が解明しようとしていた、5人の人生の共通項はだれもが孤独だったことだ。しかし孤独をつなぎあわせる運命のようなものはなかった。5人は特に約束したわけでもなく、偶然あの日一緒に橋を渡った。修道士の報告を聞いた大司教は、根拠もなく神を疑う異端者として処刑する。火あぶりになりながら、それでも修道士は、これは神の何の指示かと思わずにはおれない。いったいこの物語は何が言いたいのだ。それに答えるのが修道院長だ。火にあぶられる修道士の最後を見届けながら彼女は言う。誰しもがこの世に生まれ、誰かを愛し、愛され、死に、忘れられる。わたしたちもやがて忘れ去られるだろう。5人の思い出も消える。けれど愛があったことは、それが死者と生者に架かる橋なのだ。思い出すら愛には不要だ。愛は自らに愛を選ぶのだから。生と死の国の間をつなぐのは愛。この世で唯一意義のあるものだ」。正直いって修道院長の結論は、わかったような、わからんような、ハキとした確信は持てないのですが、人によっては異なるいくつもの解釈を成り立たせる内容が、そもそも深く広い「橋」という命題にはあると思うことにしました。誰しもが死に架かる、愛という生の橋を、歩いている途上なのですね。

 

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