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シネマ365日

2016年9月26日

特集「橋をめぐる映画」③
橋の上の娘(1999年 恋愛映画)

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監督 パトリス・ルコント

出演 ヴァネッサ・パラディ/ダニエル・オートゥイユ

 

シネマ365日 No.1886

パトリスの話芸 

特集「橋をめぐる映画」

パトリス・ルコント監督は時々ありえないようなメルヘンを作ってしまう。彼のずる賢さは、自分がエロチックな作家であり、官能的な映画が大好きであることを、くそまじめな男の風体や、恋にも愛にも興味がない地蔵さんのような堅物を出しておいてから、「これでしょう、あなたたちが期待したのは」と、むせるような艶冶なシーンを持ち出す。それはベッドシーンでもキスシーンでもなく、「ンま…」と空いた口がふさがらないような、身も蓋もない獣じみたセックスのときがある。本作ではどうか。橋から飛び降りようとためらっている娘アデル(ヴァネッサ・パラディ)に、ナイフ投げの曲芸師ガボール(ダニエル・オートゥイユ)が声をかける。「馬鹿なことをしそうだな」。娘はチラッと男を見るが、身を翻して川に飛び込む。「底なしの馬鹿だ」とぼやきガブールも飛び込む。街は冬のパリ▼助けられた娘の身の上は「学校を中退した。彼と寝たかったのと親の家を出たかったから。本当の人生は初体験から始まると思った。でも出立てから運が悪かった。ハエ取り紙みたいなものよ。嫌なことが向こうから寄ってくるの。最初の時はガソリン・スタンドのトイレだったからタイヘンだった。後先考えずに夢中になるのよ。人生には法則があって、楽しく生きられる人と、いつも騙される人がいる。わたしは人の役に立ったことがないし、幸福や不幸にも縁がない。何かをなくしたら不幸だろうけど、わたしは待合室に待っているようなものよ。隙間風の入るベンチに座り、急ぎ足の人をガラス越しに見ている。わたしに目もくれない。彼らには目的地があり、会いたい人がいる。あたしは待っているだけ」「何を」「何かが起きるのを」。20歳かそのあたりの若い娘が、火の消えたろうそくみたいに活力がないのね。自称「ハエ取り紙」も言いえて妙かもしれない。ところがガボールは「ハエ取り紙」のような娘を探していたというのだ。「パートナーとして再出発できる相手だ。よく橋の上や塔の上にいる。とことん、打ちのめされた人たちだよ。僕は40過ぎのナイフ投げだ。的になる人を探している。人生を諦める気なら試しにやらないか。君に並外れたものを感じる」ガボールはステージ映えするメイクとコスチュームでアデルを変身させ、目隠しをしたナイフ投げで拍手喝采。アデルにはただならぬツキがある、つまりアゲマンであると感じたガボールはカジノにいかせ、テレパシーで交信するのにはしらけるが、とにかくアデルは「車でも家でも買える」くらいボロ儲け。アデルはガボールと寝たい。でも彼のルールは「的」とは寝ないことだって▼怒るアデルを置いたまま男はスタスタと駅へ。アデルは仏頂面をして追いかけてきて「したいこと分かる?」「同じことかな?」「早くして。どこでもいい」てっきりセックスかと思うでしょ。とんでもない。駅構内の線路脇の廃屋に入ってアデルが的になり、ガボールがナイフを投げるのだ。練習かよ。違うみたい。壁板の隙間から入る光の縞の中で、アデルが恍惚と身をよじる。エロチシズムの雰囲気はたいそう見応えあったけど、パトリス、何でふたりに実際のこと、させないの? ヴァネッサはこのとき27歳。ジョニデとはカップルになって長女を産んでいたくらいの時期でしょう。もともと彼女、大人になりきれないような、ロリータふう女優でした。ところがこういうところが、パトリスの意地の悪さというか、彼は「仕立屋の恋」でも、主人公の恋を成就させません。理由は、男が選んだ相手が男を騙す女だったから。にもかかわらず男は純愛を貫くのでした。本作では「女がアホやから」という立場をとっています。豪華客船の新婚旅行で、早くも女房に絶望した若い男とアデルが寝る。アデルは「あなたと一緒に行けないわ。お別れよ。王子さまと旅立つの」ガボールは耳を疑う。「彼は新婚ショックで落ち込んだギリシャ男だぞ」「彼みたいな視線は初めて。寝る向きを聞かれたのも初めて。あたしたちは合わないのよ」…あっそ▼で、男は妻を置いてきぼり、アデルを連れてボートに飛び乗る。ボートは流れて(どだい、ボートに何も積み込まず駆け落ちするノーテンキがいるだろうか)彼らは洋上を漂い、救出されたときにはすっかりどっちの熱も冷めていた。アデルと別れたガボールはツキに見放され、ナイフを投げたら的を怪我させる、仕事はなくなり、行く先々で「防水時計をはめた、悲しげな女の子を見ませんでしたか」と訊くのだ。路上で商売道具のナイフを売るまでに困窮した。イスタンブールだった。トルコ建築の尖塔が見える。行き交う人の雑踏。バザールの人混みにアデルを見かけた。夢中で追いかけ車にはねられる。どこまでついていないのだ。杖を引きながら、男は夜更けの橋の上に来て暗い川面を見つめた。声が聞こえた「馬鹿なことをしそうね」顔を上げるとアデルだ。正真正銘、幻ではない現実のアデルが優しく自分を見つめている。男は呆然。わたしだって呆然。「橋から飛び込もうとしても、おせっかいがいるのね」しみじみと男を見て「苦労したのね。ふたりで見ていたのよ、いい夢を。さ、行きましょう」「どこへ」「どこへでも。あたしに投げるナイフがあるなら。こうなる運命なのよ。飛び込むのはやめて続けるのよ」「何を?」「ふたりでいることを」なんていい言葉、ふたりでいることを、なんて。これでいつも丸め込まれるのよ、パトリスの話芸に。映画に立ち込めているものがバカらしさなどとは、口が裂けてもいえなくて、それは至上のファンタジーであるといい直してしまう、天下無敵の話芸に。

 

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