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シネマ365日

2016年9月30日

特集「橋をめぐる映画」⑦
橋の下のアルカディア(2015年「夜会」劇場版)

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演出 中島みゆき

出演 中島みゆき/中村中/石田匠

 

シネマ365日 No.1890

快 哉 

特集「橋をめぐる映画」

劇中、こんな歌を中島みゆきが歌う。「いつまでもそばにいよう/ふたり離れず/その名前忘れないわ/きれいな名前/すあま すあま/約束を交わしましょう/永遠に大好きよ」ラブソングと思うだろ。でもな「すあま」って猫のことなのよ。猫にラブソング、作っちゃいけないってことはないのだろうけど、みゆきが巨大な猫のぬいぐるみを抱いて(彼女が愛用する、大好きな枕かと思った)歌っているのが猫のことだとわかって、わたし、吹き出してしまったのよ。このたびの「夜会」は荘厳なテーマです。戦争と平和、愛と自己犠牲、輪廻と追憶、そして新生への飛翔(猫と)。だから吹き出すなんて滅相もない不謹慎なことなのだけど、それに、わたしは中島みゆきの歌が大好きだし、彼女を天才と信じて疑わない。でもこのシーンで「すあま」が猫だとわかったとたん、今までうろ覚えに覚えていた彼女の歌が、サーッと脳裏を駆け巡り、それらの歌詞は猫に向かって書かれており、猫に向かってあいつ、曲を作っていたのではないのかと、ほぼ確信のように思ってしまったのです▼「夜会」はみゆきのライフワークだ。中でも「橋の下のアルカディア」は評価が高かった。演出も構成も脚本も、みゆきがやっている。舞台は昭和のレトロの地下街で、昔は防空壕だったという場所。トロピカルな色彩の、ややこしい服に身を包んだみゆきは、正体不明の占いの女性「人見」(ひとみ)である。隣の薄ぼんやり灯りの灯った店は「ねんねこ」というバーだ。チイママの「すあま」が店を仕切っている。名前でピンとくるでしょう。「すあま」は昔、人身御供となった村の娘「人身」(人見と字が違うだけ)とその愛猫「すあま」なのである。江戸時代と思われる設定のステージで、中島みゆきは猫、いや「すあま」への愛情を歌う。もちろん自分で書いた歌詞である。「いい子だから/いい子だから/頼みごとなの/聞いてよね/(略)お前だけは守りたい/だましてもいい/いつかきっと必ず会おう/忘れないでね/どんな変わり方をしても必ず思い出してね」。こんな素直な思い入れを、彼女は男に書いたことがあるか。怨念と嘆きに満ちたドヨヨ〜ンと暗い、でなければヤケクソみたいに前向きな歌しか、記憶にない。そこで思い返してみた▼「ひとり上手といわないで/こころだけ連れていかないで」そうだよな、猫はひとりでいるのが好きだからね。犬と違って人間に構われるのが嫌いだし。「空と君との間には/今日も冷たい雨が降る」猫は雨が嫌いだ。冷たい雨の日に悩ましげに空を見ている猫は絵になる。「こんなにも/こんなにも/空が恋しい」腹を空かせているのだ。猫はときどき空を見あげ、うまそうなスズメを狙っている。「恋の終わりはいつも いつも/立ち去る者だけが美しい/残されて戸惑う者たちは/追いかけて/焦がれて泣き狂う」みゆき得意の自虐ネタね。メタメタに怨念にまみれ、でも最後のところで崩れず「眠れない夜はつれづれに/わかれうた/今夜も口ずさむ」キリッと締めるなんて、孤高の猫ちゃんモードだわ。「浅い眠りにさすらいながら/街は 本当は愛を呼んでいる」眠りながら耳を動かしている猫を見たのだ。みゆきの想像力は飛翔する…▼「夜会」に戻ろう。中村中は素晴らしかった。彼女の歌を初めて聞いたけど、表現の豊かさに聞き惚れた。彼女が歌う哀切の歌詞はこうだ。「人間になりたいな/人間になりたいな/猫なんかでなければ あの子を守れたかもしれないのに/人間になりたいな/人間になりたいな/次に生まれてくるときには、あの子をきっと守れるように/代わりになくしてもいい/銀色の長い服も/夜を映す青い目も/みんないらない」これは「すあま」が「人見」を守ろうと、捕らえられた猫籠の中で歌うのだ。200ミリの豪雨が来て地下道は洪水で壊滅する、だから脱出しなければならない、「人見」は飛行機に乗って(これが平和の翼を象徴する零戦だ)飛び立つことができるが、猫籠に入った「すあま」を見捨てていくと、彼女は豪雨の中で死んでしまう。「人見」はどうしたか、零戦を飛び降り自ら「籠」に入り、二度と離れないと誓った約束通り「すあま」を抱きしめるのである。おい、そこまでやるのかよ。中島みゆきって、人智の及び難いこと、する人だわね▼人智が及び難いとは、別の言葉で言えば、不思議な透明感がいつも中島みゆきにはついてまわる。彼女の歌詞の中には、どういう日本語なのか(たぶん、みゆきの造語だが)意味と意図に首をひねるものも少なくないのだが、妙に丸め込まれてしまう。彼女のことを、擬人化と隠喩によってどんな対象にも自分を投影させる「没入の達人」と、密かにわたしは呼んでいる。だから「すあま」へのラブソングぐらいで驚くには当たらないのだが、やはりあまりにも明らかな「みゆきらしさ」に笑ってしまうのだ。どこから見ても中島みゆきのスタイルだとしか思いようのない本作に。快哉というしかない。

 

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