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特集 LGBTー映画にみるゲイ

2016年10月10日

特集 LGBTー映画にみるゲイ201
彼は秘密の女ともだち(2015年 ゲイ映画)

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監督 フランソワ・オゾン

出演 アナイス・ドウムースティ/ロマン・デュリス/ラファエル・ペルソナ

 

シネマ365日 No.1900

理解していなくても人は愛せる

特集LGBTー映画にみるゲイ

フランソワ・オゾン監督の流儀というか、やり方というか、いっそ癖だと言ってしまってもいいように思いますが、映画のキモに必ず幻想を取り入れます。夢といってもいい、妄想といってもいいのだけど、自分の表したいことはリアリズムでは表現できないと決めている。決めているといってもいいと思います。「ホームドラマ」「まぼろし」「スイミング・プール」「17歳」、みな中心は幻想です。べつに文句つけているのではないのです、彼のことを密かに「幻想の貴公子」と呼んで、超一級の監督術を尊敬しています。本作はトランスのようだし、主人公の一人ダヴィッド(ロマン・デュラス)は、同性愛者ではなくクロスドレッサー(異性装者)なのかも知れませんが、オゾンは女性に憧れ、女性になったダヴィッドに女性が好きにならせているのですから、どう考えても同性が好きなのだ▼ヒロインのクレール(アナイス・ドウムースティエ)は、子供の頃からの親友ローラを亡くします。ダヴィッドは彼女の夫でした。「あなたが死んだ今、わたしがあなたの娘と夫を見守ります」と葬儀で誓う。ある日ローラの家にデヴィッドを訪ねると、彼は女装して迎え、きちんと訳を話します。自分の女装趣味は妻も知っていた、子供も生まれ、そっちの趣味はもうなくなったと思っていたが、妻が死んでから再び女装したくなった、でもやはり世間をはばかるので、外には一切出ていない。外出するときはもちろんメークを落とし、服も着替える。ちょっと話は逸れますが、この映画の、というよりオゾンのフェチ的性格は冒頭の、ローラの死化粧に始まり、デヴィッドの念入りな装いに至るまで、微に入り細をうがつ、かぶりつきの描写です。デヴィッドが濃いヒゲの跡のある青い頬に、入念にファウンデーションを塗る、眉を整える、口紅を引く、男の肌の毛穴まで数えられるドアップです。唇の細かい縦の筋、微妙なアイライン。インナーは白いショーツの上から黒のTバック、ブラも黒。ムダ毛は脱毛クリームではなく、キャラメル仕様で毛幹から引き抜くイタ〜イやり方をあえて敢行する▼デヴィッドがこだわりなく自分に女装が好きだと打ち明け、買い物の相談に乗っているうちにクレールにも違和感がなくなってくる。女同士みたいな安心感もあるし、異性だと意識しない男性が実に付き合いやすいとわかる。クレールの夫がジル(ラファエル・ペルソナ)だ。フランス映画の旬を代表する男優二人の顔合わせです。ジルはハンサムで仕事熱心、バッチリ昇進を決め、美しい妻に充分な収入、何不足なく「できる男」道まっしぐら。そのうちデヴィッドのエレガントな立ち居振る舞いが目立つところとなり、女装趣味が周囲の知るところとなる。あちこちにセンスのいい、でもオゾンにとっては五目飯に混ぜる薄揚げみたいなエピソードが挟まり、地味な映画をかなりぐいぐい引っ張っていきます。そしてとうとう、出た、オゾンの夢のシーンが。クレールが夜中にふと目が覚める、後ろからだれかに抱きしめられている。ジルか。寝返りを打つと、そこにいるのはローラだ。ローラ生きていたのね、とは言わないが、潜在意識の中ではこういうことをやっていたのね(笑)。クレールとダヴィッドがペアになり、ジル一人と対戦するテニス。ジルは強くて二人して向かっても負かせない。心地よく汗だくになってシャワーに来たクレールは、シャワー室のカーテンの隙間から、激しく全裸で絡み合っているジルとデヴィッドを目撃した…ところでハッと目が覚めた▼オゾン映画を見るとき、彼の妄想癖に引き摺り回されないよう、気をつけなくちゃ、といつも思うわ。本作なんかエンドはどうなっているか。クレールと女装のデヴィッドが、デヴィッドの娘を二人して幼稚園に迎えに行き、娘を真ん中に、仲良く手をつないで帰るのよ。ジルはどこへ行ったのよ。クレールはジルと別れ、クレールと一緒になって子供を育てるのね。要はデヴィッドが男でも女でもどっちでもいいわけね。クレールが好きなのはデヴィッドと言う人間であって、男のデヴィッドでも女のデヴィッドでもいいのだわ。オゾンのいいたいのはつまり、こういうことなのだ。男らしさも女らしさも後から付けた文化の利便的な説明書であって、それ以外の取扱説明書ができても不思議はない、むしろあるのが多様な人間の理にかなっているではないか。人を好きになったり嫌ったりするにはそれなりの理由があるに違いない。でも理由があるから愛するのではないだろ、大事なことは理由ではなく、その人に自分が惹かれているかどうかだ。相手が男でも女でも。装いもお任せしよう。たまたま好きになったら女装好きだった、それもアリだ。もっと言うなら、理解しているから愛しているとは限らないのだ。

 

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