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特集 LGBTー映画にみるゲイ

2016年10月12日

特集 LGBTー映画にみるゲイ203
アルビノalbino(2016年 ゲイ映画)

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監督 亀井亨

出演 不二子/真上さつき

 

シネマ365日 No.1902

生き抜いてほしかった 

特集LGBTー映画にみるゲイ

ヒロインが水道の配管修理工。ある家の修理に来て、もう一人のヒロインに出会うのね。「バウンド」のノリだなと思いながら見ていました。屋島が不二子で、相手の女子高生九が真上さつきです。不二子は世間から逸脱している自分のセクシュアリティの屈折感を表出しています。真上は…この女優たちの作品を一本も見ていないし、彼女らのキャリアも、全く知らずに本作を見ました、驚いたのは広告宣伝のコピーにやたらと「レズビアンの堕ちていく愛」とか、「堕ちていくふたり」と書いてあったことで、同性愛はイコール「堕ちて」いくことに等しいのか、この感覚には参ったし笑っちゃうよ。それに「ドロリとした同性愛者のお話」という捉え方も曖昧だった。同性愛者がドロリとしているように聞こえがちだけど、ドロリというのは同性愛者のことではなく、ヒロイン個人の性格ではないの?▼本来ならどうでもいい、こんな小理屈をひねり回すのは、この映画は解釈する映画ではなく(そうですね、そういうこともあるのですね)とみたままに受け止めるのがいちばんいいように思うからよ。だからできるだけ正確に受け止め、筋道を外さぬよう、ドロリとしているのはヒロインの性格である、彼女は環境や生い立ちのせいもあって、年齢より想像もできない過酷な経験をして、ドロリとなっちゃったのだと、素直に受け止めようと自分に念をおしているわけ。そらそうでしょう。配管工の女性に一目惚れしたからって、二度目に修理に来させて、風呂場で作業している屋島に、ジワッと背後霊みたいに抱きつくのよ。説明も解釈もあったものじゃない、ああそうですか、そうなったのですか、としかいいようがないでしょう▼屋島は自分が女性であることの違和感が壁を作っています。違和感ってどういう感じの違和感? 女であることが嫌い? それとも男になりたいってこと? 屋島は男とのセックスにも歓びを感ぜず、したいとも思わない。自分のセクシュアリティをどう肯定していいのか、あるいは否定していいのかわからない。社会、いわゆる世間の中で居場所を決められなかった不安感を、同性の九が自分を求めてくれたことでやっと心が落ち着く。狭い場所だけど、ここにいてもいいのだという…ところが九は父親と近親相姦の関係にある。ドロドロの設定が好きね、この映画▼屋島は同僚にレイプされる。痛々しいわ。場所というのが寒々とした事務所の地べたです。暴力を振るわれ顔が血まみれだ。ハリウッドならヒロインは死ぬほど痛めつけられた後、強姦クソ男を殺すかズタズタにしちゃうのだけど、遵法国家でそんなことはやたら出来ない、ということで、つまりこの映画では男はヤリ得である。心も体もボロボロの屋島が九の家に来ると親父が裸で布団に寝転んでいる。この親父は早い時刻に家に戻るのね。何の仕事? 九が一日中制服を着ているのは、親父のコスプレ趣味らしいのだけど、なんたる閉塞感。九は言葉遣いの丁寧な子で、自分と父親の関係を知った屋島に「嫌なもの見せちゃいましたね。すみません」と謝る。謝ることじゃないだろ、と九にいってやるのかと思ったら、屋島は「わたしがヘンなの。こんな気持ちになったの、初めてで混乱している」「わたしもです」「入れ物と中身が合っていないような感覚があって、人と深くなるのが怖かった…なんのことかわからないよね」「どうでもいいです」「昨日生理が来たわ。久しぶりに。忘れていたくらい」九は欲望が抑えられず強引に屋島にキスし、吸血鬼みたいな口になって訊く。「女であることがイヤですか」「煩わしいと思うことがある」「わたしはキライです」▼九は父親から逃れられないという、どこにいても自分を見つけるという。素直にこの物語を受け止めようとはしていたけど、あのメタボ変態オヤジの性的虐待を、かくまで物々しく扱う必要があるのか。警察に突き出してやるのが筋ではないか。スマホかタブレ一台あれば検索で、悲惨な現状からの出口情報は得られる。彼女らに諾々と今の身の上を引きずらせる設定が、硬直しすぎていて、現実とかけ離れすぎていると感じてしまう。屋島は父親を殺す。死体をドラム缶に氷と詰めて郊外に走る。車の中で抱擁を繰り返し、朝が来たら九はいない。探し回る屋島は木の幹に紐をくくりつけ、縊死した九を見つける。屋島は九と自分の手首をくくり、上半身裸体になって横たわる。心中するつもりならそんなことで死ねないだろ。凍死するような季節だったかしらね。それに軽トラの死体、どうするのよ。木立の向こうに建物みたいなのが見えていたのは、わたしの勘違い? 映画はそこで終わっちゃう。これを違和感といわずしてなんという。アルビノとは色素欠乏症。毛髪、虹彩、眉毛、全身の体毛の色素が欠乏し白くなる。ライオンでも白いライオンとか時々生まれていますね。本作DVDのパッケージにある「わたしたちの激情は限りなく白い」は、自分たちの特殊性を意味するわけ? 特殊だと思っていることが切ないわ。だって、初めから終わりまで、息苦しくなるような暗い閉塞感の中で、なんで「アルビノ」で終始する必要があったの? そこがこの映画を耽美かもしれないけど、弱々しくしているのね。二人はそうなったのだから仕方ないだろ、と言われればそれまでだけど、死んで花実が咲くものか。ヒロインたちには生き抜いて欲しかったわね。

 

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