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特集 LGBTー映画にみるゲイ

2016年10月13日

特集 LGBTー映画にみるゲイ204
マルガリータで乾杯を(2015年 ゲイ映画)

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監督 ショナリ・ボース

出演 カルキ・コーチリン/サヤーニー・グブター

 

シネマ365日 No.1903

カルキに拍手

特集「LGBT—映画に見るゲイ」

こういうよくできた映画について、マイナス要因を書くのは、まるで意味もなくケチをつけているみたいで非常に心苦しい。そう断った上でだけど、このヒロインの身の上って、万事調子よく運びすぎていない? もういうことないじゃない。脳性マヒの障害のあるヒロイン、ライラを演じたカルキ・コーチリンの演技は出色であるし、家族の支え合いと深い情愛は胸を打つ。しかもライラは手足と言葉が不自由でこそあるものの、デリー大学からニューヨーク大学に留学するのだ。彼女はバンドで作詞をやり、コンテストに優勝するが、「障害の身でよく頑張った」という理由を聞いて、「そんなのイヤ、障害は能力に関係ない」と抗議するような子だ。母親は一家の大黒柱として娘を支え家族の太陽である。ライラはバンドのボーカルの男子に恋するが、彼には彼女がいて失恋、もうこの大学にはいたくない、と嘆いたら母親はテキパキとアメリカ留学の手配をし、娘につきそい渡米するのだ。パパと弟? ママの一言ですべては決まるのです▼ニューヨークでライラは恋人にめぐりあう。同じ大学の盲目のハヌム(サヤーニー・グブター)だ。インドの映画は、どれもみなゆったりと進行するのね。ふたりはデモに参加して知り合った。「あなたが見たいの」と、ハヌムは指でライラの顔に触れ「ウソ! 美人なのね、憎らしいくらいよ」。ママが体調を崩して帰印し、ハヌムとライラは一緒に暮らす。車椅子のライラと目の見えないハヌムが部屋で踊るシーンは楽しくて幸せが満ちている。「ハヌム、いつ自分がゲイだと気付いたの?」「ウソつくのがイヤだから話したの。ママは抱きしめてキスしたわ」「ウソ!」「もちろんウソ。まず叩かれ、泣いてわめかれ、カウンセリングに連れていかれた」「うちの両親は心臓発作を起こすわ」。監督は盲目のハヌムと手足の不自由なライラのセックスという、撮りにくいシーンを、素直に撮っています▼ライラは自分のセクシュアリティを母親に打ち明ける。「母さん、わたし、バイなの」母「わたしもバイよ」この場合のバイはメイドの意味。「どんなに教育を受けてもインドの男は、女をメイド扱い。父さんを見てごらん。どんな時でも手料理を望む。たまには洗濯もさせてみたいわ」「バイセクシュアルなの」「何のこと?」「ハヌムを愛している」「いい子よ。母さんだって愛している」「ちがう、ハヌムはわたしの恋人なの!」「マッ。気持ち悪い。普通じゃないわ」「母さん、わたし、人生でずっとそういわれてきた。今さら何なのよ!」。ハヌムもライラと一緒にインドに来ています。母親がガンの再発で病状が悪化した。ライラにいう。「ハヌムは元気? アメリカに戻るのよ」。母親は娘の恋を認め、大学に帰そうとします。ライラはハヌムに介護に来ていた学生のジャレッドと寝たことを打ち明ける。ウソをついているのが嫌だったからという理由ですが、ハヌムはどうして今になって教えるのかと怒る。そらそうね、ライラが本気でハヌムと一緒にやっていこうとするなら、死ぬまで知らぬ顔で通すのが愛情ってものでしょう。ウソも貫けば真実になるのよ。ライラはそこまで気持ちは固まっておらず、子供みたいにホントのこといってハヌムを怒らせ、というよりハヌムは情けなかったのでしょうが、一人で帰米します。ライラはインドに残り、美容院に行き、ヘアスタイルを変え、「今日はデートなの」といってどこかの遺跡に行き、カフェに入り「マルガレータ。ストローをつけて」と注文する。マルガレータが来た。ライラは鏡の自分に微笑み、乾杯する。よかったといおうか、なんというべきであろうか、あんまりというか、全然傷ついていないみたいね。このたるさ。この切り込みの甘さ、浅さが、ライラの知性や強さを、ただ人の好い、健康で単純な人物像に勘違いさせかねなくしている。せっかく「母さん、わたし、人生でずっと、気持ち悪い、普通じゃないと、そういわれてきた」という、ライラの厳しい現実を垣間見せながら、明るく、恵まれた家庭という、守りの中の幸福なライラに終わらせてしまった。ライラに帰米させ、人生の征途につく予感くらいは感じさせてほしかったわ。どうせなら「何処の国の人たるを問わず、戦い傷つき、ついには勝つべき自由なる魂」(「ジャン・クリストフ」)女子版にくらい、して欲しかったわね(笑)。でなかったら何のために、女性であり、ゲイであり、障害があるという、マイノリティを主人公にしたのよ。食い足りなさを補って余りあったのがカルキ・コーチリンの演技でした。セリフにならない、哀しみと疎外感を、存在そのもので伝え、表現した彼女に拍手。

 

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