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特集「ナンセンスは素敵だ」

2016年10月28日

特集「ナンセンスは素敵だ3」③
Novo/ノボ(2002年 恋愛映画)

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監督 ジャン=ピエール・リモザン

出演 エドゥアルド・ノリエガ/アナ・ムグラリス

 

シネマ365日 No.1918

5分で記憶が消える

まいったな、この映画。5分で記憶をなくす男性グラアム(エドゥアルド・ノリエガ)がいる。会社でコピー係をしている。彼と関係する派遣社員イレーヌがアナ・ムグラリスだ。社長は女性でグラアムがお気に入り。オフィスでセックスする。イレーヌはグラアムの病気に驚くが、彼に好意を持ち夕食に招きベッドを共にする。朝になったらグラアムはなにも覚えていない。古い、いい映画に「逢う時はいつも他人」があったが。イレーヌにとって「5分後はいつも他人」の関係は、最初こそ新鮮だったが、彼女の記憶は持続するのに、男はきれいさっぱり自分のことを忘れているのだから、なんだか自分のほうばかり「持ち出し」で、ソンしているみたいな気がしてくる。それにグラアムってやつが、ふつう考えればたいへんな症状にもかかわらず、いたって気楽に、暇さえあればセックスしているのだ。ソノ道は全然さしつかえないのね。これ、なにも考えずセックスしていれば幸せって映画なの?▼愛と欲望はちがうと監督は言うのだけど。確かにそうでしょうね。今からするのは欲望、このつぎは愛と分別しているわけじゃないけど、現実感覚としてそのへんの分別は微妙だな。分別、分別というと生ゴミ収集日みたいだから視点を変えよう。白状すると、わたし「5分で記憶喪失」という設定に、ついていくのが非常に難しいのです。「失われた時を求めて」なんか「記憶とは人生である」そのものじゃない。脳の長期記憶を司るのは海馬ですね。「臭覚と味覚だけが海馬に直結している。海馬に記された記憶は消えることがない。視覚・触覚・聴覚はすべて最初に、言語の源であり、意識の入り口である視床で処理される、そのためこれらの感覚は過去をよびだす能力に欠けている」そう臭覚心理学者のレイチェル・ハーツ博士は「プルーストの仮説を検証する」で書いているのだけど。といって、これを根拠にイチャモンつけるつもりはないのだけど、劇中グラアムは記憶保持のため、手帳やら紙片にメモしてすぐ読めるようにしていますが、匂いと味覚に関しては具体的に映されていないですね。食べるシーンやワインを飲むシーンはあるのだけど、とにかくグラアムに関する記憶障害は、5分たったら完全消去だということなのね▼そんなこと(ありえないだろ)もしくは(なりたたないだろ)っていう疑問が解消されない、それがこの映画の説得力を弱くしているから、グラアムが「徐々に記憶を取り戻している」と、医師に告白するのを聞いて(ほら、やっぱり呼び戻すタネはちゃんと脳にしまわれているのだよ)などと思ってしまう。となると、愛と欲望は別だろうといっしょだろうとどっちでもいい、要はこの男性は、自分の記憶のまだらボケを苦にするふうもなく、きれいな女性とつぎつぎセックスして、妻には守られ、中学生くらいの息子は父親が大好きで、いつも父を心配し、かげながらあとをつけたりしているのだ、そして海岸で素っ裸の父をみつけ、父のそばで夜をすごし、捜索してきた病院の車に収容されたらいっしょについていくのだ。こんな夫や父親がいたら、家庭崩壊していたってふしぎじゃないのに、なんてよくできた息子であり妻であり(浮気はしていたけど)、映画だろう▼ノリエガはこのとき29歳。きれいな裸を全部みせて、浜辺を走ったり、ムグラリスとからんだりしているけど、いっこうに生々しくない。パーツだけ言えばかなりきわどいですよ。ムグラリスの密林のようなヘアとか、ノリエガの、ぶらん、ぶらん、とか。でも「愛と欲望は別」だから、そういうシーンなんか、受け止めるほうがその気になるのが欲望で、ならなければ愛なのね、きっと。どこまでハッキリしないのよ、この映画。忘れたくなっても無理ない。そうそう、ノボとは「新人類」の意味らしいです。「あしたはいつもあたらしい」は、赤毛のアンの言葉だったけど、「5分後はいつも新しい」人のことなのね。

 

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