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特集「ベストコレクション」

2016年11月4日

特集「凍れる月のベストコレクション」④
恋愛社会学のススメ(2009年 社会派映画)

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監督 マーレン・アーデ

出演 ラース・アイディンガー/ビルギット・ミニヒマイアー

 

シネマ365日 No.1925

愛というコスモス 

凍れる月のベストコレクション

ドイツ映画の女性監督たちから目が離せない。ニュー・ジャーマンシネマから現在のドイツ映画を切り開いてきた監督の一人、マルガレーテ・フォン・トロッタも、綺羅星のような後輩らの活躍に負けず、「生き写しのマリア」を完成させるなど、ますます意欲を掻き立てている。近いうちに本欄に登場するであろう、彼女らの作品はフェオ・アラダグの「クロッシング・ウォー決断の瞬間」、この映画の撮影監督であるユーディット・カウフマンが、自身監督として撮った「誰でもない女」。ドリス・デリエの「犯罪 幸運」。ドイツ生まれのトルコ系2世ヤセミン・サムデレリの「おじいちゃんの里帰り」。ただでさえ華々しい状態に、ドッカーン! ミサイルみたいに打ち込まれたのがこれ。2016年カンヌ国際映画祭で本命視されながら選に漏れたとき、いっせいにブーイングが起こったという「トニ・エルトマン」。監督が本作のマーレン・アーデだ。1976年生まれ、40歳。カンヌ映画祭史上二人目のパルム・ドールを取らせたかったわ▼「トニ」に先立つ彼女の監督作品が「恋愛社会学のススメ」で、ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞した。邦題は何のことかわからないけど、原題は「エヴリワン・エルス」。みんなそうだよ、とでもいうニュアンスか。夫婦ふたりの、ほぼ「二人劇」だ。イタリアのサルディニア島に避暑にきたギッティ(ビルギット・ミニヒマイアー)とクリス(ラース・アイディンガー)。監督は意味深なセリフの連射で、こういう夫婦はどこにでもいるし、どこにでもある情景だとでもいいながら、いつの間にか深い襞を裏返し、折りたたまれていた愛の刻印をのぞかせる。言い換えたら、わたしたちが愛と呼んでいるものは、かくもありふれて平凡、かくも愚かで、かくも後退的、かくも自堕落で、心がへたっているときに何の慰めにもならぬ厄介で手に負えないもの…かくも主体不明の存在だと監督はいいたがっている▼くどくど説明するより、二人が交わすセリフを聞いてみよう。妻ギッティ「一人になりたくないの」夫クリス「どうして」「怖いから。連れていって。一緒に行く」「来てほしくないね。君はフツーじゃない」「あなたはわたしに、どうしてほしいの」「人と同じように」「人と同じはイヤ」。別のシーンでは夫「俺を好きか」妻首を横に振る。夫「でも愛しているだろ」。首を横に振る。夫は妻を膝に抱き「明日仕事で出かける」妻「じゃ、テキトーに一人で過ごすわ」。妻はブティックを覗き、メイクしてもらいながら店を一歩出るなり、嫌悪感丸出しにして口紅を拭き取ってしまう。ふとレストランに夫が座っているのを見つけ入っていく。「街で仕事なの?」「ただの食事さ。仕事は順調だ。今にリッチになる」「よかった」どことなく気の抜けたような問答。夫が友人のハンス夫婦を夕食に招くという。妻はザンドラだ。夫は冗談でゲストを笑わせようとするが誰も笑わない。気まずい。ザンドラに親切にするのが妻は気にくわない。夫たちはふざけて妻たちをプールに放り込む。台所に戻ったザンドラは「困った男たちね。タオルを貸して」とギッティに頼む。ギッティは黙って鼻先に包丁を突きつけ「いい? 二階に上がって亭主にこういうの。つわり(彼女は妊娠中)で気分が悪い。もう帰りたいと」▼こんな会話もある。妻「私を捨てないで」。夫(キスする)。妻「ごまかさないで」夫「なんといえばいい。愛している。君に尽くす。君を放さない。満足か?」「ええ」。彼らが言葉を発すると、辺りは口を黒い空気が立ち込める。それで、別れるのか。妻「愛が冷めたの。家に帰るわ」。夫「なぜ冷めた?」「理由はないわ」「そんなこと信じないよ」「あなたが臆病だから」「よくいうぜ。なぜ避妊しなかった」「責任を取れとはいわないわ」「俺を変えたいのだろ。豪邸を建築するような男に(夫は建築家)。自分はラクできるからな。くつろいだ格好して説教するな。自分の夢はないのか。俺に媚びてザンドラを真似するなんて、呆れるぜ」「思い上がりよ。あなたが哀れだわ」「俺がバカだと思うなら去ればいい」。夫が部屋に入ると妻が倒れている。突然死だと思う。揺すぶってもダメ。夫は泣く。妻のケータイが鳴る。夫は取り出し「今出かけている」と応答する。ケータイを戻し、大声で「芝居はよせ! やめてくれ!」テーブルに寝かされた妻はかすかに息をして笑う。夫がしみじみという。「俺を見てくれ」そこでエンドだ▼夫が求めると妻はつれない。妻が求めると夫は応じない。冷たい言葉の応酬。その合間に「愛している」と抱擁する。見終わるとこう思う「どこにでもいる男と女と愛の三角関係は、結局みんなこうなのかも」(つまり、エヴリワン・エロス)。愛情だけでなく、虚しさ、倦怠、嫌悪、怠惰、憐憫、嘘と嘲り、憎しみと裏切りさえ含んでいるのが、愛というコスモスなのだ。それは途方もなく果てしなく限界がなく、豊かでありながら目の前のことしか見えず、狭く、傷つけることをなんとも思わない。どんな言葉からもはみ出してしまうコスモスがそこにある。

 

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