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特集「ベストコレクション」

2016年11月14日

特集「凍れる月のベストコレクション」⑭
小間使いの日記(上)(2015年 日本未公開)

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監督 ブノワ・ジャコ

出演 レア・セドゥ

 

シネマ365日 No.1935

ちぐはぐな女性像 

こういう映画だったかしらね。具合のいいことに、ミルボーの原作はきれいさっぱり忘れているし、ジャンヌ・モローの前作も忘却の彼方。初めて見るようなものだったけど、それにしてもずいぶん中途半端な映画になったものね。ラストのセレスティーヌ(レア・セドゥ)のセリフはこうです。「ジョセフに支配され、わたしは幸せを感じた。たとえ犯罪でも、彼と一緒なら、できる」時代は第二次世界大戦前夜。ジョセフとはセラフィーヌが雇われているお屋敷の庭番、勤続14年で主人夫婦の覚えはめでたい。彼は反ユダヤ人の先鋒で、故国フランスを守るために、ユダヤ人排撃運動に身を呈している。映画はセラフィーヌが今のお屋敷に来るまで、いろんな家の小間使いをやり、タイプの違う女主人に仕えた、いくつかの雇用先が回想シーンで入る。とにかくブノワ・ジャコ監督とレア・セドゥの「マリー・アントワネットに別れをつげて」のコンビだから、転んでも駄作にはなるまいと思ったけど、この二人にしちゃ凡作です。「支配されることに幸せを感じる」のは、それはそれでいいと思うわ。女がみなフェミニズムの先頭に立たねばならぬわけじゃなし、自分自身の安らぎと幸福の居場所を求めることは最高の人生よ▼セレスティーヌは頭もよく仕事の物覚えも早いが、態度・性格がとんがっていて、求人に来た女主人をバカにして紹介所の斡旋を断ったりする。彼女が願うのは「やさしく声をかけて人間として扱ってくれる人、それだけで充分」なのだ。孫の介護人を探している婦人に、セレスティーヌは紹介された。「決して楽な仕事ではないのよ」彼女は申し訳なさそうにいった。孫は胸の病気で療養中だ。屋敷はパリから離れた海辺にある。セレスティーヌは婦人の穏やかな、気品のある物腰と、自分に接する分け隔てのない態度に、この婦人が好きになり「お仕えします」と引き受ける。小間使いの部屋とは思えない、広い明るい部屋が与えられた。セレスティーヌは献身的に仕え、孫ジャスティンは彼女に愛を告白する。最初は拒否したセレスティーヌだが、あまりの一途さにほだされ、行為に及んだら途中で喀血し、死んでしまった。婦人はセレスティーヌを咎めず、このまま屋敷に残ってくれと頼むが、セレスティーヌは自分を責め辞去する。行くあてもなく、路傍の階段に腰を下ろしていたら、通りがかりの紳士が声をかけ、ついていった。「豪邸から路上の女に転落」と自嘲する▼過去にそんなこともあり、ここランレール家にやってきたセレスティーヌだ。女主人は人使いの荒いことで、主人は色気狂いの変態で有名だった。小間使いには習い性となった「覗き癖」が身についているが、セラフィーヌにもそれはある。女主人はそれを見越し、セラフィーヌが窓を拭きに現れると「呼んだとき以外こなくていいわ」と締め出す。呼ぶときとは鈴を鳴らすのだ。鈴がなった。セラフィーヌが行く。縫い物をするから「針を取ってきて」クローゼットは階下だ。小走りに降りて持って上がる。「糸も」。再び降りる。急ぎ足に上がる。「ハサミも持ってきて。急いで」。階段3度の往復でセラフィーヌはゼイゼイ息切れがする。「暗い顔はやめて。大して働いていないのに」と奥様。セラフィーヌと女主人のバトルは火花を散らす。セラフィーヌが階段の手すりにつかまり、号泣しながら降りてくる。女主人が見咎める。「どうしたの」「母が死にました。わたしには家族がいなくなりました」。泣きじゃくる。「まあ、かわいそうに」それはよい、つぎ「でも仕事はしっかりお願いね」。セラフィーヌは女主人の指示を受けた後、退室際に「高慢チキのクソ女」「腹が立つ、いいなりにはならない」と言い捨てる。この根性はどこへいった。ジョゼフのユダヤ人攻撃にも「どうしてユダヤ人が悪いの。わたしはユダヤ人の家に勤めたことがあるけど、クリスチャンにもひどい人はいるわ。宗教の違いだけで人を差別するのはおかしいわ」と率直に疑問を口にする。こんな「モノとヒトと時代の見える女性」が、しかも社会経験を積んだ結果、支配に幸福を感じるようになど、果たしてなるものなのか、失望感を深めるだけではないのか。実感として、女性像がちぐはぐなのだ。

 

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