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特集「美しい虚無-妄想映画の魅力」

2016年12月8日

特集「美しい虚無=妄想映画の魅力4」⑧
ある秘密(2012年 事実に基づく映画)

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監督 クロード・ミレール

出演 セシル・ド・フランス/リュディヴィーヌ・サニエ/マチュー・アマルリック

シネマ365日 No.1959

哀しみと愛と 

フランソワの父マキシムと母タニア(セシル・ド・フランス)は、戦争前、お互いに別の相手と結婚していた。マキシムの妻アンナ(リュディヴィーヌ・サニエ)とタニアの夫ロベールは兄妹だった。マキシムはアンナとの結婚式でタニアと出会い、ふたりは同時に一目惚れする。やがてアンナは夫のタニアを見つめる愛撫のような視線に気づく。アンナは息子シモンを生む。戦争が始まりタニアの夫は出征した。ナチのユダヤ人抑圧が強まり、タニア、アンナ、マキシム、彼らと家族同様の女友だち、ルイーズはナチス・ドイツ占領下のパリを離れ、サン・ゴーチェの田舎に避難すると決めた。パスポートを偽造し、ユダヤ人であることを隠して移住するのだ。マキシムら男たちが先に、アンナ、ルイーズ、シモンら女・子供が後に、タニアは親の店を処分して合流することになった▼出発直前、アンナが自分と息子は残ると告げる。ロベール(兄)が帰ってくるかも、というのだ。アンナは行きたくない。タニアと夫の秘密を知ってから、情緒不安定になっている。説得して発ったが、途中の村で警官に呼び止められる。フランス人の旅券を見せたアンナは、ユダヤ人である身分証も同時にさし出すのだ。あっけにとられる警官に「あれはシモン、私の息子です」と付け加える。連行された二人はアウシュビッツでガス室送りになる。形を変えたアンナの自殺、しかも息子を道連れにして、としかいいようがない。マキシムが到着したがルイーズは「アンナはうっかり身分証を出し間違えた」とだけいった。タニアは魅力的だった。美しくセクシーで、水泳の名手で、スポーツ好きなマキシムと気があい、二人とも健康だった。ロバートが戦地でチフスを患い死んだ。タニアとマキシムは結婚した。生まれたのがこの映画の語り手である「わたし」フランソワ(マチュー・アマルリック)だ▼フランソワが物心ついて以来、父と母は戦争の話をしたことがなかった。美しい母の泳ぐ姿も、父のレスリングも、フランソワの記憶に鮮やかだったが、彼だけはスポーツがダメだった。フランソワは「兄」を妄想の中で作り出した。その「兄」はスポーツ万能で、優秀で、なんでもできた。フランソワは近所のルイーズの家に行くことが生活の一部になっていた。ルイーズと両親は兄弟姉妹のような関係にある。フランソワは学校の教室で強制収容所のドキュメントを見たあと、同級生が「ユダヤ人のブタども」と蔑称するのを聞き、殴りつける。ルイーズに、殴り合いの喧嘩の傷の手当をしてもらっているとき、自分には妄想ではない、本物の「兄」がいたことを知る。アンナとシモンという死者の名も知った。父と母の結婚にまつわる過去も。だれも口にしなかった秘密が明らかになった…というのが原作なのですが。これ、そんなに大げさに語らなければならない秘密なのでしょうか▼父と母は不倫だった、とはいえないしね。お互いに見つめ合っただけで「罪を犯したわけじゃない」とルイーズも言っている。妻と夫が死んだ者同士、結婚することはよくある話じゃないの。頻繁に時系列が交錯し、ショットの転換はテキパキしてタルミがないのだけど、「秘密」めかした語り口には閉口したわ。この映画が優れているのは、たいしたことのない「秘密」の、もったいぶった打明け話より、ユダヤ人であったがために人生を狂わせられた悲劇だわ。確かにアンナは夫とタニアの恋仲に気づいてショックだったし、そのため気力をなくして自殺同然の行動に出てしまった、でもそれだってユダヤ人を迫害する戦争の圧政下でなければ、遭遇しないですんだのよ。それにこの語り手は「父や母が黙っていた過去」というが、言いたくない秘密のひとつやふたつ、大人ならだれだって持っていますよ「私」はスポーツができなかった…運動音痴くらいで自伝を書かなくちゃいけないの? わからないわ。こんなヒマな主人公を、よく監督は我慢して描いているわ。クロード・ミレールといえば、ロミ・シュナイダーとリノ・バンチュラの「検察官 レイプ殺人事件」があり、監督自ら「視線の映画」と名付けた「伴奏者」があり、川端康成の「眠れる美女」を原作とした「オディールの夏」があり、モーリャックの「テレーズ・デスケイルゥ」がある。みな佳品だ▼ミレール監督らしい耽美の一撃がないなあ、と物足りなく思いながら、やってきましたラスト寸前、こんなセリフが入ります。「数年後、母は脳卒中で倒れ、話すことも歩くこともできなくなった。父は麻痺した母の姿を支えられず、二人で終わりにした」呼吸装置を外したのか、どんな措置を取ったのかは関係ない。ミレールは言葉の説明ではなく、映像で勝負したのだ。回想シーンである。水着に着替えたセシル・ド・フランスが梢の葉むらの茂みから射す日光を眩しげに目をやり、川に向かって歩いていく。その後ろ姿。肩、背中、腕、首筋の肌を滑り落ちる光り。伸びやかな肢体。美しかった母。歩くことも話すことも叶わぬ、人生の終わりに照射した一瞬の過去、それはまるで夢のような虚無。哀しみと愛に満ちた、息をのむ美しいシーンでした。

 

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