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特集「ザ・クラシックス」

2016年12月14日

特集「ザ・クラシックス5」②
男と女(1966年 恋愛映画)

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監督 クロード・ルルーシュ

出演 ジャン=ルイ・トランティニャン/アヌーク・エーメ

シネマ365日 No.1965

この男とこの女 

Classic5

風の強い船着場で、母親と小さな娘がいる。娘は母親に何かねだっている。「じゃあ、青ヒゲの話をしましょう」といいながら、母親は娘の手を引き浜辺に向かって歩く。ヒロイン、アンヌ(アヌーク・エーメ)の後ろ姿をクロード・ルルーシュは撮る。何と綺麗な脚だろう。話は脱線するが、「奇妙な果実」を見たとき、ビリー・ホリデーを演じたダイアナ・ロスの、海辺を歩くときの脚を見て、きっと世界でいちばん綺麗な脚ではないかと思ったことがある。「にばん」も「さんばん」も、何も知らないのに勝手に思いこんだのだからいい加減なものだが、子供心にも感激したのだ。そのときの脚を久しぶりに思い出した▼アンヌはスタントマンの夫を亡くし、娘を寄宿学校に預け、パリでスクリプト・ガールをして一人で暮らしている。撮影現場で撮影の進行を記録する監督の助手だ。日曜日は娘に会いに寄宿学校のあるドービルに行く。そこで息子を預けに来ているジャン=ルイ(ジャン=ルイ・トランティニャン)に会う。帰りの汽車に乗り遅れたアンヌはジャン=ルイの車で送ってもらう。「ご主人は何を?」アンヌは説明する。「ご主人の仕事を除けば、平凡な人生ですね」とジャン=ルイ。「その通りよ」アンヌの肯定に「ご主人は特別な人?」「私にはね。夫は撮影から帰るとサンバの話ばかり」でも夫は撮影中に事故で死んだ。ジャン=ルイはレーサーだった。ル・マンの耐久レースで重傷を負い、妻は半狂乱になって自殺した▼ぽりぽりと煎り豆を齧るように、ゆっくりとルルーシュ監督は映画を進めていく。29歳だったルルーシュは破産寸前で落ち込んでいた。そんなときの習慣として「疲れ果てるまで車を飛ばし」ドルビーの海岸まで来たという。車の中で眠り気がつくと夜明けだった。ガラス越しに海辺を歩く若い女性が見えた。朝の6時に子供と犬を連れて砂浜を一人で歩く彼女のことをあれこれ考えた。想が膨らみ、1カ月で脚本にし、1カ月で準備し、金がないから数週間で撮りあげた。男はジャン=ルイ・トランティニャンを描いて書いた。彼はすぐ出演を了解した。相手役は誰がいいかと聞いた。ロミー・シュナイダーか、アヌーク・エーメか。エーメはローマにいた。電話すると出演は受けてくれたが「船のシーンで船には乗らない、フェリーニだったら合成でうまく撮る」といい、気まずくなった。ルルーシュは無名に近かったし、エーメは大女優だった。「たぶん僕に信用がなかったのだろう」と37年後のインタビューで彼は答えている▼最悪のスタートだったがルルーシュは踏ん張った。あり合わせの機材を担いで、わずか10人くらいのスタッフが走りまわりながら撮った。半世紀前のこの映画が、今後50年経っても古くはならないと確信できるのは、「この男とこの女」の恋愛という、プライベート極まる関係を、「男と女」という永遠普遍のコスモスにしたからだ。逆にいってもいい。「男と女」という、わかったようでとらえどころのない、曖昧模糊としていながらすべての男女が理解した気になる関係を「この男とこの女」つまり顔と固有名詞を持つ、わたしたちと同じ現実の人間に引きずりおろし、肉体を与えたからだ。モンテカルロ・ラリーで優勝したジャン=ルイにアンヌは電報を打つ。「ブラボー、愛しています」。表彰式のパーティでそれを読んだジャン=ルイは愛車ムスタングに飛び乗り、6000キロを駆ってパリに向かう。車の中でブツブツいう▼「よくあんな電報を打てるな、あんな美人が。女から愛していると言われるなんて最高だ。今からだとパリに着くのは6時半頃だ。アパートにまっすぐ行こう。ベルを鳴らす。二度? いや一度でいい。どなた、と聞くだろう。そこで…いきなり名乗るのはまずい。そうだ、アントワーヌ(息子)の父親ですといおう。ドアを開ける、顔が合う、彼女はまごつく、そりゃそうだろう、電報を打ったすぐ後にきているのだから。コーヒーでもどうぞというだろう。突然どうも、と詫びよう。アビニヨンから電報を打った方がいいだろうか、いや、まずい」。ルルーシュの真骨頂だと思うのよね。ここから続くラストまでの作りが。アンヌは砂浜で子供たちを遊ばせていた。散歩する老人、走り回る犬。アンヌを見つけ、ジャン=ルイは車を降りて走り、アンヌと子供たちもかけ寄り、抱き合う。幸福の最高潮で「エンド」が普通だろうが、ルルーシュはねちっこく引っ張る。二人はベッドに入る。アンヌの乱れる髪。絡ませる指。男の肩。ふっと女の視線が遠くなる。夫との交歓が蘇る。覚めた女に、置き去りにされたジャン=ルイは「なぜだ」と聞く。「夫のせいよ」「もう死んだじゃないか」アンヌは黙って首を横にふる。どっちも味気なくホテルを出る。アンヌは汽車で帰るという。「直行便か」「乗り換えよ」。ジャン=ルイは駅でアンヌを降ろし、車の中でブツブツが始まる▼「どうすればよかった。こんな結末とは信じられない。幸せを取り逃がすなんて。急ぎすぎたのか。いや、時間は関係ない。電報までくれて愛しているといったのに、女の気持ちはわからない。おそらくいっぷう変わった亭主だったのだろう。いかれたやつだったに違いない。そうさ、そんなやつだったのさ、似合いのカップルだ」。アンヌは思い出している。今朝レストランで朝食のメニューを見ていたときのことを。「何時にモンテカルロを出たの?」ウェイターが注文を聞きに来る。ワインを頼むが料理が決まらない。ウェイターは「後ほど」といって去る。「何か注文しないと悪いわ」とアンヌ。男はウェイターを呼び「部屋を頼む」。ジャン=ルイは運転しながら微笑する。車を飛ばし乗換駅に来た。ホームに来て列車の到着を待ち構える。乗客が降りてくる。やがてアンヌが歩いてきた…。ありふれたものがありふれたものでなくなる瞬間をこの映画は捉えています。誰にとってもそれはある。ありふれた太陽が恋に、狂喜になる。どこにでもあるカフェがおとぎ話の絵本になり、吹きすぎる風が嘲りに、陶酔に、優しさと愛しさになる。わたしたちはそんな一刻が、一瞬が、自分に訪れたときのことを忘れたのかもしれない、そんなことは自分にはないと、見逃していたのかもしれない、わたしたちが巡り合った大事なそのときが、誰の身の上にも巡り来る愛の賜物であったことを、この男とこの女によって、映画は気づかせてくれます。

 

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