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特集「銀幕のアーティスト」

2016年12月19日

特集「銀幕のアーティスト6」①
エゴン・シーレ/愛欲と陶酔の日々(上)(1983年 事実に基づく映画)

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監督 ヘルベルト・フェーゼニー

出演 マチュー・カリエール/ジェーン・バーキン/クリスティーネ・カウフマン

シネマ365日 No.1970

バリーの愛した男 

特集「銀幕のアーティスト6」

これはどう見てもジェーン・バーキンの映画ですね。エゴン・シーレを支えた糟糠の妻、バリーを演じます。だいたい見る者が嫌悪感を催さずにはすまない、腐臭が漂うような絵を描いた画家ですよ、シーレは。バリーはシーレの師匠クリムトのモデルでした。クリムトはオーストリア耽美派の旗手として、既に華々しい成功を収めており、若い弟子のシーレの才能を認めていました。シーレが21歳、バリーが17歳で同棲を始めます。当時モデルといえば娼婦よりマシ、程度の社会認識しかなかった時代です。才能があるとはいえ、シーレの描く絵は陰惨な色合い、歪んだ肖像、少女に取らせたショッキングなポーズ。彼は(無実でしたが)未成年誘拐事件で起訴され24日間、拘留されます。バリーは画家や画廊主、シーレの姉に母親と、八方手を尽くし、弁護士を探します▼その間シーレは何をしていたか。この映画、愛を求める孤独な天才画家という、同情的な立ち位置でシーレを捉えているのが気にくわないのですが、割と正直にシーレの実像を写していると思えるのが拘留のときです。明けてもくれても彼はウダウダと嘆き、妻にこの人物を訪ねろとか、誰それに会って力を借りろとか、具体的なアドバイスするでもなければ、オレは無実だ、心配するなと励ますわけでもない、ひたすら哀願する。バリーは留置所の外に立ち、オレンジを窓から投げ入れてやるなどして、ヘタレ男を勇気づけます。シーレには母親と姉がいて、どちらもしっかり者です。バリーが彼女らに助力を求めたところ、姉は「女3人でエゴンを助けに行くのね」と苦笑する。当たっている(笑)。エゴン・シーレとはエゴイストで偏屈な割に、同じくらい俗物な面を持っていました。シーレがバリーを棄て、彼らが所帯を持っていた家の、向かいに住む姉妹の一人、エーディトと結婚したのは、画家として売れ出したシーレが、対面を保つため、中産階級の娘と結婚し安定した家庭を築きたいと考えたからです▼エーディトの結婚の条件は「バリーと別れる」ことでした。ここがシーレのあっけにとられる図々しさですが、バリーと愛人関係をつつがなく保ちながら新婦と新生活に入り、しかも順風満帆にその関係が維持できると信じていました。バリーが底辺の女だったから、どんな条件でも拒否しないと考えたのでしょうか。バリーはシーレの気持ちが自分から離れていくことを知り、彼の代表作「死と乙女」に「わたしは誰も愛したことがありません。わたしはただのモデルです。バリー」そう書いたメモをキャンバスに止めて去ります。1912年4月8日でした。オーストリアはセルビアに宣戦布告、第一次世界大戦に突入します。バリーは看護師として従軍し、猩紅熱で倒れ野戦病院に収容されました。映画では梅毒の第3期だったとされ、遺体は「市役所が集めに来る」路上に放置されました。23歳でした。子供のときから家庭に恵まれなかった彼女は結婚に憧れていました。同棲を始めたばかりの頃、二人が借りたノイレンバッハの新居は、右手にウィーンの森、正面の丘にノイレンバッハ城、右にツルナー平野。「わたしたちの家ね」とバリーは嬉しげに部屋を、風景を見ていました。「死と乙女」はシーレの最高傑作です。これはバリーがモデルになった最後の作品です。それこそ彼女はありとあらゆるポーズをシーレのためにとり続けた。いやだと言ったことは一度もない。ないと思います。あの大胆さにはためらいのかけらも感じられないからです▼見れば見るほど「死と乙女」は顔を背けたくなるほど、毒のある絵です。女がすがりつき、男は逃げ腰である。男の右腕は、かろうじて女の肩を抱いているが、抱いているというより、肩を掴んで引き離そうとしているように見える。シーレの描く人物の顔は醜怪そのものです。特に自画像は歪みに歪んで、見分けもつかない。シーレは写真で見る通りハンサムな青年でしたが、すべての自画像をおぞましい顔貌に歪曲しています。多分ナルシズムの裏返しでしょうね。それに色調の陰気なこと。シーレの描いた「ひまわり」は、ゴッホのそれが光と生命への賛歌であるのに対し、枯れたヨレヨレの葉と、しおれ切った花が寒々と茎にしがみついている、まるで断末魔ではありませんか。バリーが愛したのはそんな男でした。自分勝手で俗物で、依存心が強く、金も力もなく、女を幸福にする温かみもない、それでいて繊細でやさしく甘え上手で、目を背けながらも網膜に絵が焼きつく、そんな絵を描く男、虚栄心が強く世間体のために、自分を守り支えてくれた女を捨てる男。しかも結婚後も愛人関係を続けようと、しゃあしゃあと持ちかける厚顔無恥な男。「わたしは誰も愛したことはありません」…バリーの言葉は慚愧に満ちている。そして最もどうしようもないのは、慚愧と悔恨の中にすら、愛はあることでした。

 

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