女を楽しくするニュースサイト「ウーマンライフ WEB 版」

  • facebook
  • twitter
  • line
  • rss
  • ブックマーク

特集「銀幕のアーティスト」

2016年12月25日

特集「銀幕のアーティスト6」⑦
非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎(下)(2008年 ドキュメンタリー映画)

Pocket
LINEで送る

監督 ジェシカ・ユー

シネマ365日 No.1975

美しいコスモス 

特集「銀幕のアーティスト6」

だれにも知られぬまま絵を描き続けていたヘンリーは、73歳で強制的に病院をリタイアさせられた。彼は貧困と病気に苦しんだが、自分からお金に困っているというのは辛いことだった。大家のラーナー夫妻はクリスマス・プレゼントとして家賃を値下げした。隣人のバーグランドは病院に付き添い入浴を介助した。支援は二、三人だったが、彼を助けてくれる人はいたのだ。視力が衰えていった。1972年、ラーナー夫妻の手助けで、ヘンリーは父親と同じ救貧院に入所した。朗らかな尼僧に囲まれていたが、彼が制作室とした部屋の温もりも匂いもなかった。ラーナー夫人はいう。「部屋を出た途端、彼の人生は消えたの。彼の作った別世界こそが、彼の人生だった。そこを出たとき人生は終わったのよ」。これは彼の死後、初めて彼の部屋に入り、彼が何をしていたか、目の前にあるものをその目で確かめた人にしかわからなかった実感だと思える。作品群は衝撃だった。「現れた絵のひとつ、ひとつがショックだった。夫は一目見て、特別な絵だと感じ取った。書いたものの分量の凄さに圧倒された。色使いが並外れ構成もすばらしい。テーマが奇妙すぎて理解できなかったけれど」。隣人たちはヘンリーが息をひきとる最後の週、面会に通った。「作品を見たよ。すばらしいよ」と褒めると白目をむいて言った「手遅れだよ」▼映画の終盤に語られるナレーションを聞こう。「優れた若者であったろうに、見いだす者がいなかった。私生活はわびしく、寂しかったが、彼ほど精神的に豊かな人生をおくった人はいない」「ヘンリーは永遠に謎だ。ヴィヴィアン・ガールズを見ているのは心地いい。優雅な身のこなし。美しく不思議で少女の神秘性が伝わってくる」。ヘンリーの独白もある。「年々腰が曲がり、彼女たちより先にわたしは年老いたとしても、彼女らはわたしを愛し、わたしも彼女らを愛している」。ヘンリーの話し相手は少女たちだった。ラーナー夫妻は作品を公開し、部屋を保存することにした。えらい人たちだと思う。以来作品は世界的に展示され、収集され、彼に触発されたアート作品が多数生まれた。2000年、部屋は取り壊された▼ジェシカ・ユー監督は「残酷な絵でも無邪気さが伝わってきた。膨大な量を、彼は自分だけのために創作した。それだけの特別な理由があったのだ。彼は理想の世界で生きたかったのだろう。<非現実の王国>は、彼が作り出した幻の少女たちが、邪悪な大人に立ち向かう物語だ。奇妙で美しい彼の世界にある謎を誰も解きえない。様々な疑問が湧くけれど、彼の作品の意味を探るのは無意味よ。この映画をつくると決めたとき、ヘンリー・ダーガーという、巨大な謎を受け入れることから始めようと思った。生前の彼のことを知る人はほとんどいないのだもの」そしてこう結んでいます。「妄想とは無限に広がる宇宙なの」。これはクリエイターとして美しい、強い、信念に溢れた言葉であると思えます。イマジネーションといい、妄想といい、夢といい、人がものを作るのはまず心の世界からの出発でしょう。想い描く宇宙。魂のコスモス。それに感覚と形象を与えるものが、絵であるか、言葉であるか、音楽であるか、造形であるか、映像であるか、元素記号であるか数式であるか、アルゴリズムであるか、螺旋記号かはわからない、でも彼ら、彼女らが心に抱いたのは何かを「思い描くこと」であったはずだ。他人を寄せ付けず、いや自分以外の者を受け入れることが不可能な領域にいなければ、創り得ないものがそこでは跋扈する。だからこうも考えてみる。「エンマ・ボヴァリーはわたしだ」フローベルがそういったのと全く同じ意味で、このドキュメントを見てつぶやく人はいないだろうか。「ヘンリー・ダーガーはわたしだ」

 

Pocket
LINEで送る