女を楽しくするニュースサイト「ウーマンライフ WEB 版」

  • facebook
  • twitter
  • line
  • rss

特集「銀幕のアーティスト」

2016年12月31日

特集「銀幕のアーティスト6」⑬
銀幕のメモワール(2003年 社会派映画)

Pocket
LINEで送る

監督 ピエール・グランプラ

出演 ブノワ・マジメル/ジャンヌ・モロー/マリオン・コティヤール

シネマ365日 No.1981

過去となる/三百六十五日かな

特集「銀幕のアーティスト6」

タイトル通り追憶の映画です。その追憶をたどるのが、若い映画監督サム(ブノワ・マジメル)、追憶を語るのが(ジャンヌ・モロー)。若いときのリザにマリオン・コティヤールです。モローが73歳、マジメルが24歳、コティヤールが23歳でした。みな若かったですね。ジャンヌ・モローの73歳なんて、今の妖怪状況からすれば可憐なくらいです。サムが戦前のスターの足跡を辿るドキュメント映画の製作で、過去の資料を当たっていた。1本の古いフィルムにシルヴァンという二枚目スターを見つけた。フィルムの缶にシルヴァンが若い女性と映っている写真があった。彼女がリザだった。リザを訪ねて介護施設に行く。昔話をするつもりのないリザが「彼女は留守なの。連絡先を書いていって」と無表情にメモを渡す。サムはさらさらと「なぜウソを。リザ?」。(チェッ、こいつ)という感じでリザはサムを招じ入れ、「ウォッカでも。ロックで?」と訊く。ジャンヌ・モローとブノワ・マジメルの呼吸がよくあっているシーンです▼戦前リザは重症の結核患者として、人里離れたサナトリウムにいた。そこへ映画のロケ隊がきて、シルヴァンと出会った。どっちも一目惚れだった。どこにも場所がないから、試写用に張ったスクリーンの裏でしたことがリザの初体験となった。シルヴァンは「愛している、リザ、永遠に」と囁くがリザは自分が病人だし「嘘でもうれしいわ」と一歩引いている。戦線が激化し映画製作のスタッフの半分が「続きはヒトラーを倒してから」として、前線に向かった。シルヴァンにも令状がきた。戦火の拡大は山中のサナトリウムにも及んだ。記憶を辿るリザがふとサムを見つめていう。「彼のほうがハンサムだった」。ジャンヌ・モローだからマジメルはこのセリフをイキにしておいたのでは▼同時進行で、サムの両親のエピソードが入ります。父親が潰瘍の検査が出た。ガンだった。母親は言葉が喉に詰まって、息子にそれがなかなか言えなかった。父親は長年文房具店を営んでいる。車の屋根に大きなゴム型の万年筆を乗せて、店のアピールを兼ね、明るく冗談を言いながらパリの町を走っている。サムはリザからシルヴァンがユダヤ人であり収容所送りになったことを知る。嘆くリザの元にシルヴァンは脱走してきた。医師のカストラン博士はユダヤ人患者を地下室に隠し、リザが食料や薬を運ぶことになった。リザの話を訊くうち、サムも両親がユダヤ人である自分のルーツを振り返る。父と母はどうやって知り合い、結婚したのか。母親が初めて聞かせる話に、サムは自分が考え及んだこともなかった現実がすぐそばにあったことを知る。「1943年、母さんは6歳、父さんは8歳。一夜にしてふたりはすべてを失った。親も家も何もかも。おじいちゃんは強制収容所だった。ふたりで野宿をし、盗みもして歩いて国境を超えた。父さんが怖がるわたしを励ましてくれた」。サムの目から涙があふれた▼文房具店だが、CDやレコードを置いていた。父親が店にいる息子に「何をしている」と声をかけた。「なにも、ちょっと。ガーシュインは?」手近なCDを取って涙をかくすために横を向いた息子に「ラブ・ソディ・イン・パリか。ガーシュインめ、昔はオレを、今は息子を泣かせやがって」親父は涙を隠す息子の金髪を、可愛くて仕方ないというふうに、くしゃくしゃにする。リザとシルヴァンにも別れが来た。患者の密告により、地下の隠れ家が摘発され、カストラン博士は銃殺。かくまわれていたユダヤ人たちはトラックに移された。シルヴァンはユダヤ人であることを名乗り、生き延びるより、アイデンティティの証明を選んだ。リザにはわかっている。シルヴァンの映画を覚えている人など今はいないだろう。でもそれでいいのだ。追憶とはだれのためのものでもなく、自分が生きるための縁(よすが)なのだから。サムも知っている。父と母が生き抜いてきた過去は父と母のもの。リザの心に今も生きているシルヴァンはリザだけのもの。だれが奪えよう。サムはリザとともに、父親も自分の映画に出て欲しいと思った…追憶と書くだけでセンチに陥りやすい安っぽさを回避したのは、サムの父親の登場でしょうね。つつがなく平和に、穏やかに老後を暮らす父親に死の影が迫る。でも父は明るい。妻を愛し、息子を愛して残る人生を生きることができる。時間は人が言うほど過酷なものか? 何もかも押し流し消し去る無常のものか。そうかもしれない。でもどんな辛さの只中にいても、嘆きも悲しみも時間は置き去りにしてくれる。こんな救いって、あるだろうか。ありがたいことにすべては過ぎ、移りゆくのだ。自分の前を通りすぎるものが増えれば増えるほど、自分から離れていくものが増えれば増えるほど、どんな辛さの中にも、もう生きておれないとさえ思った辛さの中にさえ、止まることを許さなかった時間というものの、本当のやさしさに人は気づく…読者のみなさま、今年も一年のご愛読ありがとうございます。今年も大晦日を迎えましたね。「過去となる/三百六十五日かな」(紫苑)。どうぞよいお年をお迎えください。

 

Pocket
LINEで送る