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シネマ365日

2017年2月14日

特集「二度と見たくない傑作」⑤ 
ドクトル・ジバゴ(下)(1965年 恋愛映画)

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監督 デヴィッド・リーン

出演 オマー・シャリフ/ジュリー・クリスティ/ジェラルディン・チャップリン/トム・コートネイ/ロッド・スタイガー/アレック・ギネス

シネマ365日 No.2026

本命はJ・クリスティー

二度とみたくない傑作

本編のヒロイン、ラーラがジュリー・クリスティに決まるまで、何人かの候補がいました。もっとも有力だったのは、製作者カルロ・ポンティの妻であるソフィア・ローレンでした。しかし資金面で難しくなり、確実に観客を呼べる監督が必要と考えられた。デヴィッド・リーンなら金を出すと金主たちはいうのだ。カルロ・ポンティが会いに行くと、デヴィッド・リーンは「ソフィアでは無理だ」と断を下した。「ソフィア・ローレンはすでに女優として洗練されていた。ラーラは映画の冒頭では処女に見える女優でなければいけない。ソフィアは大人であり、官能的すぎた。それにもっと小柄な女優がいい」そこで白羽の矢が立ったのがジュリー・クリスティだった。本作から半世紀以上たった今この映画を見ると、ジュリー・クリスティのことを「ダーリング」でアカデミー主演女優賞をとった女優ではなく、「ドクトル・ジバゴ」のラーラとして、観客は鮮やかに記憶しているはずだ▼ジバゴだが、「アラビアのロレンス」で初めてリーン監督と一緒に仕事をしたオマー・シャリフに決まるとは、本人も信じられなかったほどの抜擢だった。オマー・シャリフは「自分は助演する俳優であり、ジバゴよりパーシャが向く」と考えていた。ところがデヴィッド・リーンは「アラビアの…」ですっかりオマー・シャリフが気にいっており、しょっちゅう彼の話を人に聞かせていた。「昔ながらの俳優で、器用ではないがうまい」のがその理由だった。デヴィッド・リーンはアドバイスが必要な俳優と必要でない俳優のチョイスが的確で、事細かに助言する俳優もいれば、放って置く俳優もいた。オマー・シャリフは後者で、それがとても不安で、しまいに「ミス・キャストだから降りたい」と監督に泣きついた。真夜中にもかかわらず監督はホテルに足を運び「わたしを信じられないのか」といい、もちろん続投を命じた▼ジバゴ一家のウラル超えのシーンでは、ロシアの冬の白い大地を列車が一直線に走る美しい光景が続く。戦争で焼け払われた村、森に潜む抵抗軍の赤い列車、死んだ子を抱いて走る列車を追いかける母親、閉じ込められた列車の中で、それでも「カリンカ」に興じ、手拍子を叩き踊る農民たち、朝が来ればドアは、ハンマーで打ち破らねばならぬ熱い氷が張っている。地平線まで何一つない、果てしないシベリアのツンドラを走る列車の、儚くもけなげな人間の営みに言葉を飲み込む。ラータと別れて8年、零落したジバゴはモスクワで兄に出会い、病院勤務の職を得る。心臓が悪化していたが知らせなかった。ある日、路面電車の窓からラーラと思しき女性を認める。ジバゴは満員の乗客をかき分け、降りる。心臓の発作が遅い、声も出ず、ラーラの後ろ姿を追いながらジバゴは倒れる。ラーラは気付かず振り返らなかった。ジバゴとの間に生まれた娘は雑踏ではぐれ孤児となった。ジバゴの異母兄、エフグラフ(アレック・ギネス)は政府高官となり、ラーラの娘探索に助力するが見つからなかった。ラーラは去り、どこかの収容所で死んだ。ジバゴの妻トーニャとラーラは一度会ったことがある。ジバゴがパルチザンに2年間拉致されて放浪していたとき、ラーラの存在を知ったトーニャがバルキノを去ることを告げにきた。そのとき夫あての手紙をラーラに預けた。「あなたが生きていれば、きっとラーラさんのところにくるでしょうから、預けます」女の子が生まれアンナと名付けたこと、ラーラは素晴らしい女性であることをしたためていた。どっちもよくできた女性だわね。不倫映画にもかかわらずドロドロいやらしくならないのは、妻と愛人のどっちもの女性が心の綺麗な人だからよ。ジバゴって考えてみれば得な男じゃない。必ず女性に助けられているわ。詩人だから? それとも本当に男らしい「静かなる男」だから? どっちにしてもいいけど、地獄の沙汰も金次第で生き抜いていく、コマロフスキーって男も強烈よ。蛇蝎のごとくラーラに嫌われながら、それでもラーラに執着し、詩人なんて何をする人間かも知らないのに、ラーラが愛しているから仕方なく、ジバゴもついでに助けようとする。この(しぶしぶ)って感じを丸わかりにさせるところが、さすがロッド・スタイガーだわね。

 

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