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特集「ザ・クラシックス」

2017年2月22日

特集「ザ・クラシックス6」⑥ 
テンション(1950年 犯罪映画)

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監督 ジョン・ベリー

出演 リチャード・ベースハート/オードリー・トッター

シネマ365日 No.2034

分かりやすい悪女 

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薬局の店長である夫(リチャード・ベースハート)に、店員が忠告する。「そこまで奥さんに尽くさなくても。奥さんはあなたを影でわらっていますよ。あなたを見ていられません」。店長は「仕事に戻れ」と一言、黙々と妻(オードリー・トッター)に献身するのだ。24時間営業の店は、薬局だけでなくコーヒーも飲めるし、軽食もできる。雑貨も売っている。元祖コンビニみたいなものだ。店長が夜も昼も、身を粉にして働くのはお金を貯めたいからだ。家を買って妻を喜ばせたい。彼の夢はいつも妻の喜ぶ顔を見ることだった。その妻は金持ちの男と浮気しながら、働く夫をバカにする。こんな女は早晩殺されるか刑務所行きか、とにかく娑婆から消えて欲しい、男性はそう思うはずだ。妻のどんな批判を耳にしても夫は動じない。妻への愛は絶対で誰も何も壊すことはできない。リチャード・ベースハートが、誠実の塊のような夫を好演する▼妻を演じるオードリー・トッター、ミス・ノワールと呼ばれるほど犯罪映画のヒロインに扮した。グリッとした大きめの目は、決して美しい瞳ではないが、女の意地の悪さがそこに漂うと、これほど似合う目はないようなメヂカラである。口から出るセリフがいちいち、男を馬鹿にして、夫がどんなに尽くしても文句たらたら、それが生きがいであるかのように、陶然とこき下ろすのだ。こんな女も世間にはいるのか、わたしなんか感謝してもらわなくちゃ、と女はある意味、目からウロコだろう。本作で瞠目すべきは、女に後悔の「コ」、反省の「ハ」が絶無なことだ。男がチラッとでも「少しは俺のことも考えてみてくれ」のニュアンスを言葉の端ににじませようなら、なじり返し、睨みつけ、小馬鹿にしてくるり、背中を見せる。彼女をまともに話の相手にさせるには、金か豪遊の話題しかない。大げさに作りすぎではないかという恨みはあるものの、ここまで図式的に描かれるとあっけに取られて「…」沈黙である▼妻の前に金持ちの男が現れた。早速手練手管を繰り出し、ねんごろな仲になる。夫は爪に火を灯し、辛い夜番の勤務にも耐え、やっと不動産屋に話をつけ、新居を購入した。憧れの夫婦の家だ。新生活をスタートさせ、人生は今から輝くのだ。その輝きの中心にあるのはむろん、妻の満ち足りた笑顔と感謝である。嬉々として家に案内した夫に妻はなんといったか。不便なところ、遊びにも行けない、散々ケチをつけ、帰りましょう、さっさと車に乗り、あきらめきれず、家の中を見ている夫を、情け容赦なくクラクションを鳴らして呼びつける。思うのですが、オードリー・トッターのいいところは、このビッチぶりがカトリーヌ・ドヌーヴのような美女でもなく、ベティ・デイビスのような凄まじさもなく、ましてジャンヌ・モローのような悪魔的な女でもなく、ただもう意地が悪い、性格がよくない、という日常レベルの、普通の女の延長線上にあることだ。神がかりでないことが、われわれ女の目線から見ても、この映画をリアルに仕立てる。悪は悪でも、想像を絶する悪女だと、あるいは複雑極まりない性格だと、一緒になって腹を立てたり、男に同情したりと、こうは共鳴せんのです▼やはりというか、この女だけは生かしておけないという、世界の男の総意というか、妻は破滅する。刑事が一計を案じて罠に嵌めるのだ。監督はなんだ、男だって似たようなものではないかと思わせる。夫は裏切った女に今度こそ堪忍袋の緒が切れ、別人になりすまし完全犯罪を目論んだ。別人の小道具が「メガネ」というのは、今から70年近く昔だから仕方ないだろう。要するに本作は女のイケズと男の忍耐と、刑事の謀略が絡み合ってエンドになる。だからとても単純だ。男をたらしこむとはいえ、女はひとつも淫らではないし、男は健全な市民だ。要は悲劇でもドラマティックでもなく、ファムファタールとか犯罪映画の悪女とは、所詮、男の幻想が作り出した産物ではないのか。いともたやすくそんな結論にたどりつくのは、黄昏が似合う繊細な女ではなく、白昼の、見えすぎる視界で捉えたシンプルな「分かりやすい悪女」だったからだろう。

 

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