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シネマ365日

2017年3月7日

特集「タイムレスな女優」⑦ 
間諜X27(上)(1931年 社会派映画)

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監督 ジョセフ・フォン・スタンバーグ

出演 マレーネ・ディートリッヒ

シネマ365日 No.2047

日の出のディートリッヒ 

タイムレスな女優

娘マリア・ライヴァの回想によれば「母は年齢というものを紙吹雪のように撒き散らしてしまう人」だった。マレーネ・ディートリッヒは、生真面目で健康で、仕事熱心で、頭がよくてよき主婦であり、よき家庭人だった。それとともに、娘の自分さえ気をつかって、なるべく触れないようにしていたくらい「体に触られるのが嫌いな母が、なぜあれだけ多くの人間と肉体関係を持てたか、どう考えてもわからない」と、取材やインタビューでは絶対わからなかった素顔のディートリッヒを平気で書いています。そんな「忙しい」ディートリッヒに、年のことなど考える暇があったかどうか、娘には「紙吹雪のように撒き散らしていた」としか思えなかったのでしょう。娘マリアが「私」のディートリッヒを描き尽くしたとすれば、女優としての「公」のディートリッヒを、これ以上美しく撮りようがないくらい、描き尽くしたのはジョセフ・フォン・スタンバーグでした▼「モロッコ」の撮影の一コマをディートリッヒは書いています。「ジョー(監督)はそれを見たこともないほど長いクローズアップで撮った。そしてスタジオには、いままであれほどセクシーな誘惑の眼差しが映画に取られたことはないという噂が広まった。人間の顔がどんなふうにフィルムに写るか、垂れた目蓋にはどんな効果があるか、ジョーは知り抜いていたのだ。ラッシュでそれを見たとき、これこそ究極のセックスだと思った。けれどわたしが一、二、三と数えていたことを知ってそのシーンを見たら、ひどく滑稽な感じがするかもしれない!」。一、二、三というのはスタンバーグがカメラを回している間そう数えろと指示していたからです。なんと具体的な指示であり、それをまたなんと忠実に守る女優だったことか(笑)。のちにふたりの関係がスキャンダルになり、別れるまで監督—女優として七本を撮りました。本作が三本目。ディートリッヒは美人か? 実際は容貌コンプレックスがひどかった。目蓋は垂れていたし、さがり目はいつも眠たそうだった。スタンバーグが誰にも撮れないディートリッヒを撮れたのは、彼女の個性を知り抜いていたからでしょう。彼が関係を解消したのは、愛が冷めたというより、それまで負け知らずに突っ走ってきた一連の、ディートリッヒ主演作品が「西班牙狂想曲」でこけたからだと思えます。自分の目に狂いが生じたのではないかと彼は初めて疑いを持った。「西班牙…」はいい映画だったのに、スタンバーグはディートリッヒという尋常でない女性との、長い関係にくたびれていたのかもしれません▼本作のディートリッヒは日の出の勢いです。30歳でした。90歳で没するまで時間をどこかに置き忘れたような、長い、きつい旅が始まっていました。前作「モロッコ」で、ディートリッヒはヨーロッパ文化の背骨とでもいうべき退廃美をハリウッドに持ち込んだ。彼女のタレ目も弧を描く眉も歩くデカダンスを体現した。ディートリッヒのバイセクシュアルを、母親の次に早くからわかっていたのはスタンバーグでしょう。ディートリッヒが何を着て、どんなしゃべり方をしたら他の女優を引き離すか、スタンバーグは熟知していました。スクリーンのディートリッヒはビッチでありアバズレであり、酒場の獏蓮女であり、娼婦であり、畳の上で死ねない女だった。つまり、ディートリッヒとは社会と時代からはみ出して生きる、情熱的な女を演じさせるのがいちばん似合う、彼女は徹底的な少数派であり、反社会的な存在だとスタンバーグは捉えたのです。「モロッコ」のタキシードは、ディートリッヒのマイノリティを、強引なまでに前面に押し出しました。しかもそれがヤンヤの喝采で受け入れられるシーンをスタンバーグは撮っています。ディートリッヒも怯みひとつ見せていません。女が女に抱く欲望、しかもそれが潜在的な社会のウォンツであり、遠からず社会の表面に現れてくる熱の塊を、ディートリッヒは引きずり出そうとしています。その勢いを駆って次作「間諜X27」は作られました。

 

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