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特集「偏愛力」

2017年3月28日

特集「偏愛力1」⑱ 
ラスト・タンゴ (2016年ドキュメンタリー映画)

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監督 ヘルマン・クラル

出演 マリア・ニエペス/フアン・カルロス・コペス

シネマ365日 No.2068

タンゴの詩

偏愛力

マリア・ニエペスと彼女のパートナー、フアン・カルロス・コペスは80歳と83歳。ともにアルゼンチン・タンゴに革命をもたらし、今も舞台に立つ現役のタンゴ・ダンサーだ。冒頭にマリアの独白がある。「死んで生まれかわっても同じ人生を選ぶわ。比類なきタンゴ・ダンサーの人生を。コペスと生きる以外は」。夫とともに暮らすのは金輪際こりごりといっているわけね。コペスを呪いながら踊ったとマリアは回想している。一度は愛し合い、結婚したがタンゴの衰退とともにコペスは自信を失い、マリアと別れ家庭を持った。マリアといたら喧嘩ばかりだったとコペスはいうが、マリアはマリアで「コペスなんかくたばれ」と怒号する。彼らはタンゴに革命をもたらした。ブエノスアイレスの貧乏人たちの娯楽であり、週末に場末の酒場で踊っていたタンゴを世界に認知させたのである。生涯をタンゴに捧げた男女のダンサー二人は、時に食い合い、激情をぶつけ合い、パートナーでありライバルだった。「こんちくしょう、くたばれ!」こそ、お互いの実感だっただろう▼マリアはいう。「貧しい家庭だった。ゴミ箱をあさる母親の背中を見て育った。踊ることが好きで、家の中で箒を抱いて踊っていた。コペスに初めて会ったとき、彼の立ち姿に、ハッとするほどインパクトがあった」。コペスは「マリアは16歳の美しい娘だった。私のストラディバリウスをついに発見したと思った。マリアしかいない。他のパートナーは考えられなかった」。大好きだった「雨に唄えば」を見て、夜更けの雨上がりの橋の上で踊る二人のダンスに息をのむ。青年時代のマリアを演じるアジェレン・アルバレス、フアンのフアン・マルシア、どちらもアルゼンチンを代表するダンサーだ。タンゴ独特の攻撃的な踊りは格闘技のように鋭く、美しい。マリアは「あの世まで持っていくいい思い出よ。死後の世界でジーン・ケリーに会えると信じている」▼時代の波が襲った。ロックが台頭し、タンゴは廃れていった。二人は拠点としていた劇場「アトランタ」から締め出された。タンゴで世界に羽ばたくのがコペスの夢だった。彼は新しいタンゴを創ろうとしたが、タンゴ・ダンサーは長続きしなかった。コペスのタンゴは異端視され公演は実現しなかった。マリアの苦闘時代は続く。1983年になってパリ公演が成功し、世界中にタンゴブームが飛び火していった。ブロードウェイでも成功を収めた。世界で盛り上がったタンゴがアルゼンチンに帰り、そこから現在までタンゴは息づいている。ふたりは1997年の東京公演を最後に、コンビを解消した。コペスの妻がどうしてもマリアがパートナーであることに我慢しなかった。ダンスの絆はとても強く誰も入り込めないことを知っていたからだ。マリアは「自分の運命を受け入れ淡々と生きてきた。彼は卑劣でおぞましく冷酷な男。私ならそんな仕打ちはしない。私はボロボロの、ずぶ濡れになった子猫みたいになった。タンゴ人生は終わったと思った」。コペスの娘はこう回顧している。「父はマリアと踊れなくなって残念がった。私はマリアの代わりにパートナーを務めたが、誰も伝説のマリアを引き継げはしない」▼アルゼンチン・タンゴの黄金期を築いたふたりは別々の道を選び、マリアは不死鳥のように蘇った。「苦しみがアーティストを育てる。私は老年でも舞台では牝ライオンよ」と言えるようになった。「女ひとり。これがいちばん肝心なの。世の中は変わり、すべてが過ぎ去る。死ぬほど苦しんだけど、あの苦しみがわたしをよきタンゴ・ダンサーにした。苦しみと幸せと惨めさは、女ならみな知っているはず。70年をタンゴに捧げてきた。80歳だけどまだ踊り続けている。開かれた心で。すべてタンゴのおかげよ。食べることにも困っていた貧しい家の娘が、タンゴと出会い一家を養えるまでになった。家や車を持てた。どう踊るかは関係ない。問題は心よ。テクニックだけで踊ったタンゴは、劇場を出たら人は忘れる。魂を込めた踊りをすれば人々に語られる」。彼女の言葉それ自体が、詩のように響く。

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