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特集 LGBTー映画にみるゲイ

2017年5月17日

特集 LGBT—映画に見るゲイ217 
ムースの隠遁(2012年 ゲイ映画)

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監督 フランソワ・オゾン

出演 イザベル・カレ/メルヴィル・プポー/ロナン・ショワジー

シネマ365日 No.2118

そう来るか、ムース 

特集「LGBT—映画に見るゲイ」

ヒロインのムースを演じたイザベル・カレは実際に妊娠6カ月の大きなお腹をしています。劇中「妊娠している女性が好きだ。妻は妊娠中セックスさせてくれなかった」という中年のナンパ男が現れる。オゾンも妊娠中の女性を撮ることが願望だったのですってよ。ムースと恋人のルイ(メルヴィル・プポー)は高級マンションに住み、ドラッグ常用者でルイは過剰摂取のため死ぬ。ムースは妊娠していた。スペインに近い田舎に隠棲し子供を産むことにする。田舎の家とはムースが16歳のときのアメリカ人のパパの持ち物だ。映画は淡々と進みます。ムースっていうのが、簡単にいうと、ルイの葬式には豹柄のコートとGパンで遅刻して参列、母親から、あなたはドラッグ中毒ゆえ、産むのは危険ではないかと中絶を勧められるが、ムースは産むと決めたらしい▼「らしい」とはあやふやな書き方だけど、オゾンはムースの大きなお腹はせっせと映すものの、彼女が子供を待ち望んでいる、楽しみにしている(編み物をするとか肌着を揃えるとか)のシーンはさっぱり表れないのである。それどころか妊娠中にもかかわらず酒は飲む、ヒールを履いてダンスに行く、鎮痛剤は飲む(禁断症状の緩和のためと本人は言っている)、そこへスペインに行く途中の、ルイの弟のポール(ロナン・ショワジー)が別荘にきて居候する。彼はゲイである。別荘に出入りする村の青年セルジュと恋仲になる。ポールが全然女性に気がないから、ムースは心穏やかかというと、でもないらしい。ポールの美しい肉体に視線が奪われるし、ダンスホールの物陰でポールとセルジュが、熱く抱き合っているのに嫉妬する。出会った中年のナンパ男はズバリ「僕の部屋から海が一望できます」と口説く。部屋に来たものの、ムースはその気になれない。ベッドに腰掛け、ただ「揺すってほしいの」と注文。男はムースの背後に回り、お腹に手のひらを当て、あやすように上体を揺すぶってやる。それでおしまい(笑)▼海岸をムースが歩いている。海水浴の人たちが浜辺にいる。オゾンの好きな光景だ。波打際をそぞろ歩きしていると、女性に声をかけられる。ムースよりちょっと年上で、地元の女性だろう。「素敵ね、あなたは魅力的だわ。男の子? 女の子?」ムースはわからないと答える。性別はとっくに診断できる段階なのに、関心がないとしか思えない。この女性も妙な女で、ムースにひざまずき「触らせて」と、お腹を両手で盛んに撫で回し「お腹の子に話しかけるといいのよ」と勧める。ムースは「いい加減にして」と女を追い払う。例によっていつ映画は中核に入るのか、さっぱり手応えのないオゾン流なのだ。ムースはポールに「ゲイでも子供は欲しい?」「どうかな」「本気で愛した人は?」「いるけど死んだ」。え〜? してみると。やっぱり…「ルイは兄だけど、兄じゃない。僕は養子なのだ。ルイを産んだあと母は合併症を起こして子宮を摘出し、大家族を望んでいた母は落胆した。そして僕をもらった。産みの母は知らないし、興味もない」。ポールはルイを愛していたのね。ああ、そうだったの▼やっと映画は何らかの進展の兆しを見せるが、それにしてもヒロインは何に喜びや悩みを、あるいは不安を感じているのかさっぱりわからない。ひたすら大きなお腹を抱いて歩き、自分にやさしいポールと関係し、彼がスペインに発つと泣く。ひとりで産むのが不安で寂しいのね。父親である男は死んでしまったし、それもオーバードースだなんて、だれが聞いても眉をひそめる形で。ムースはどこからお金が入ってくるのか知らないけど、生活費に困っていそうにない。ルイと住んでいたアパートも高級で、これといった仕事もしていなかった。なりゆきで子供を産むことになった、というのがいちばん適切な表現だと思えるほど、何にも情熱がないのだ。あんた、暇を持て余しているから産む気になったの? 一人で子育て、甘くないわよといいそうになるが、そんなこと、余計なお世話だったことが後ほど、よ〜くわかる。とにかくムースは出産した。病院にポールが来る。ムースはベッドに腰掛け、小さな箱に入った赤ん坊を、距離を保って眺めている。なんだかここ(産まれたけど、どうしようかな〜)って考え込んでいる感じなの。抱き上げるわけでも頬ずりするわけでもない、妙にポツンとしているのよ▼ポールがやってきて愛しげに赤ん坊を抱く。名前はルイーズ、女の子だ。ムースはタバコを買ってくるわと、コートを羽織って外に出て深々と煙を吐いて、電車に乗って病院を後にするのである。早くいえば逃走である。出奔でありトンズラではないか。ポールに宛てた手紙によると「娘を抱くあなたを見て、彼女に愛を与えられる人だと確信しました。娘をお願いします。わたしに母親はまだ無理です。人生を学び直したいの。必ず戻るわ。ふたりはわたしの人生の宝物よ」…のけぞるわ、この手紙。ポールにしたら愛する恋人(義兄)の忘れ形見だから、そりゃ可愛いでしょうけどムースはどうなのよ、ムースは。子供を育てることこそ、人生を学び直す絶好の機会ではないのか。オゾンは母性神話の否定を意図しているのでしょうか。わかりますよ、女性が子育てに縛られることによって、アイデンティティーを喪失していいのか、子育てに適した女性ばかりではないのに、一方的に「女の仕事」だと押し付けるのは間違いだ…でもね、そこを世の女は一生懸命やりくりして自分に最適の活路を見出そうとしているのよ。あんまりムースが幼いので、空いた口がふさがらない。もっともポールに預けたほうが、娘は安心だとは思うけどね。それにしてもオゾン、キミはイザベル・カレの豊穣かつ神秘を秘めたお腹を見たいがためにだけ、この映画を撮ったのか。そうみたいね。

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