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特集「ダンディズム-dandyism-」

2017年6月13日

特集「ダンディズム3」 ③ マルチェロ・マストロヤンニ 
華麗なる殺人(1969年 コメディ映画)

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監督 エリオ・ペトリ

出演 マルチェロ・マストロヤンニ/ウルスラ・アンドレス

シネマ365日 No.2145

メメしい男が好きなの 

ダンディズム3

マルチェロ・マストロヤンニとはつくづく複雑な男性に違いないと思える。コメディあり、シリアスあり、社会派あり、ありとあらゆるジャンルで映画に出演し、世界的な俳優であるにもかかわらず「マストロヤンニ印」を刻印しようとしない。自分をマーキングしない。臭みがない。霧のようでもあるし、光のようでもあるし、形のない風のようでもある。主役をやっても、重おもしく全力投球しているようには絶対に見えない。ひょうひょうとしているのに軽くはならない。胸の底から悲しみのこみあがる映画を、切なさとはかなさでおおう。情熱を持って俳優ができるのは「自分が役の上で別人になっていると思えるからだが、それは思い込みにすぎない。どんな演技をしてみたところで、50%には自分の個性や持って生まれたものがはっきりと見て取れる」と「わが映画人生を語る」で答えている▼「成り切る」ことが役者の身上のように褒められることに対して、冷水をかけるクールな意見だと思った。役者選びは、年齢が似通っているからという理由で選ぶと失敗する、俳優と役の人物の気質があっているかどうかだ、とある監督が言っていた。それが自然だろう。どんな仮面をつけたところで、役を支えるのは「地」なのだから。してみると、マストロヤンニのあの多彩な役柄は、いかに多様な性格やものの見方を、彼が腹にしまっているかということになる。この複雑な男は時に応じて万化する「自分」を、熱い日に汗がにじむのと同じメカニズムで、表出しているにすぎないのだ。複雑繊細、かつ自然体と言わずしてなんといおう。本作は「華麗なる殺人」などというつまらない邦題で損をしている、近未来SFコメディの佳品だ。共演がウルスラ・アンドレスとくると、いかにもプロデューサーのカルロ・ポンティ好みだ。ウルスラとポンティの妻、ソフィア・ローレンの雰囲気の似ていること▼本作の殺しのゲームは、ちょっとややこしいが次のようなルールがある。人間の闘争本能を満足させなければ、世界平和は保てないから、殺人をスポーツとして合法化しよう、という社会ができた。誰でも自由に会員に登録でき、ハンターとして5回、標的として5回、これを交互に行い、10回勝利すれば賞金100万ドル。カロリン(ウルスラ・アンドレス)とポレティ(マルチェロ・マストロヤンニ)は、ともに相手が10人目にあたり、100万ドルとそのほか、無数の権利と富が手中に入るかどうかの対決だった。記念すべき殺人ゲームにスポンサーがつき、カロリンはテレビ放映を了解、殺しの現場を撮影させることにした。ポレティはそれを察知し、逆に自分もスポンサーを見つける。カロリンは受精センターで生まれた不感症の女性。ポレティは「トマソ」と名付けたロボットのおもちゃだけに気を許すウツ症状の男。ポレティに近づいたカロリンの愛の言葉は「わたし、女々しい男が大好きなの」。ポレティは現在の自分に嫌気がさし、人生の「全てを変えたい」と願っている。虚々実々の騙し合いを繰り返しながら、ふたりに恋心が芽生える。殺人ゲームも100万ドルもどうでもいい、ふたりで逃げようと、パンナム機に乗り込んだ。それは新婚専門の飛行機で、旅客機の中に牧師がいて、式を挙げられるのだ。ポレティはカロリンの計略にはまり、結婚式に連れてこられたのだ。もう結婚はこりごりだ、降ろしてくれとポレティが騒ぎ出すが、牧師に銃を突きつけられ、結婚に合意しなければ撃つぞ、という羽目に。最後はブラック・ジョークで締めくくったコメディ。「わたし、女々しい男が好きなの」はひょっとしてアドリブ? ポップな仕上がりで胸にもたれません。

 

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