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特集「ダンディズム-dandyism-」

2017年6月20日

特集「ダンディズム3」 ⑩ ジェレミー・アイアンズ 
ある天文学者の恋文(下)(2016年 恋愛映画)

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監督 ジュゼッペ・トルナトーレ

出演 ジェレミー・アイアンズ/オルガ・キュレンコ

シネマ365日 No.2152

死してのち照らす光よ 

ダンディズム3

さて、ジュゼッペ・トルナトーレ監督が、これこそをいいたかった、描きたかった、と思える部分ですが、天体物理学の因果関係が実に詩的に引用されます。「あなたがカリフォルニアでする、講演のテーマを教えて」というエイミーに「弦理論:幻想かあるいは万物の理論か、だよ」「宇宙の調和。平行宇宙ね」「そう。時空次元だ。多元宇宙の無限性の中に10人の別の自分がいる。だから僕たちは10人のエドに10人のエイミーだ」「じゃ、今ここにいる私を入れて11人ね」10人の別の自分が宇宙にいる。素敵だと思わない。劇中、エドはこういう使い方をしています。「鍵をなくしちゃったの」とエイミー。「心配ない。10人の君のだれかが見つける」。そんなふうに思えたら人生どんなトラブルも屁のカッパね。思うのだけど、宇宙物理学って、深く人間の内面と呼応するのではないかしら。まだ解き明かされていない何かのために、魂とか、霊魂とかいう言葉があるようにさえ思える。エドの話を聞いていると、とてもスピルチュルなのよ▼死んだはずのエドから、タイミングよく手紙やCDディスクが送られてくる。エドはエイミーと母親の確執も知っていて、「お母さんに会いに行ったほうがいい」と手紙に書かれてあり、会いに行くと母親がすでに届いているエドからの封筒を渡してくれる。エイミーの行動をすべて予知している。エイミーはエドの誘導に従って図書館の希少本に出会い、天文台で星雲を見る。エドのガンは星状細胞腫というものだった。星のことばかり考えて生活していると、いつか頭の中に星が誕生するのだよ、とエドはいっていたそうだ。ある日のパソコンの映像で、エドはこういっていた。「きょうは後ろむきですまない。君にいい姿を見せたいと思うが、命が誕生した無へと帰るときがだれにでも来る。それゆえ、君と共にいる方法を考えつかない。人間の精神は決して無限を理解することはできない。愛についてさえ本当はわからないのだ。万物には論理がある。おそらく我々が生まれた瞬間は、だれもが永遠の命を持っている。それなのになぜ死ぬか。なぜなら生きていく上で、人はだれもがひとつ過ちをおかすからだ。そのせいで永遠の命を失うのさ。どんな過ちかって? わからない。でもその過ちのせいで人間は死にゆく存在となる。僕の過ちはわかっている。もっと早く君と出会わなかったことだ。もっと長く君といなかったことだ。僕の最後の3か月はとても美しかった。特別な言葉を贈りたいが、これしかいえない。愛している」▼これだけでは宇宙物理学とスピルチュルがどう結びつくかわからない。でもエイミーが博士号取得試験に合格した論文のレジュメにこうある。「天体物理学の歴史において、宇宙に対する知識は死せる星の研究によって得られた。星の最期に起きる大惨事は超新星の爆発であれ、動力崩壊であれ、超新星であっても同様だが、それらによって理解できるのは、星の不滅というものは、想像をはるかに超えて不可解であるということだ。数千億年もの恒星の地球からの距離と、光の速度との問題によって、星が死に、存在しなくなったのちにその姿を見つける。それこそがまさに星の悲惨な最期と言える。地上にいる人間にその姿が見えるのは、数世紀、数ヶ月、数秒間かもしれないが、それは数十億年前に起きた星の死の表れなのである。科学者の研究とは、もはや存在しないものとの対話である」。縮めていうなら、わたしたちが見ている星の輝きは、その星が寿命を迎え、爆発し、燃え尽きるときに放った光が地球に届いているのだ。科学者の研究が「存在しないものとの対話」であるとすれば、魂の存在は対話に値しないだろうか。エドの魂もまた、死してのち照らす光となって、その輝きをエイミーに届けつづけるであろう。

 

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