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特集「美しい虚無-妄想映画の魅力」

2017年6月22日

特集「美しい虚無=妄想映画の魅力5」②
ブロークン(上)(2008年ホラー映画)

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監督 ショーン・エリス

出演 レナ・ヘディ/メルヴィル・プポー/リチャード・ジェンキンス

シネマ365日 No.2154

そっくりな私がふたり

特集「美しい虚無=妄想映画の魅力5」

アレクサンドル・アジャ監督の傑作に「ミラーズ」があります。質量ともに堪能できるホラー・ミステリーの優品でして、「さすがアジャ」としか書きようがなかったことを覚えています。鏡、この相似の自分を映す器物は、古来人の憧憬と狂気を掻き立ててきました。もう一人の自分がいることに時に人は憧れ、時に恐れ、人格の転移や破壊にまでイマジネーションを延長させていった。「鏡の中のアリス」は、ファンタジーの衣をまとったシュールな世界です。この作品が「不思議の国のアリス」ほど、読まれていないと思えるのは、内容にあるグロテスクに近いイメージを無意識に敬遠するからではないでしょうか。「ブロークン」はわかりにくいかもしれませんが、かなりよくできた妄想オチ映画です。鏡の中に閉じ込められていたもう一人の自分が、鏡が割れたことによって現実のこの世界に戻り、本物の自分を殺していく。鏡の中に封印されていたのはその人間の邪悪の魂だという発想でミステリーに仕上げたのがアジャでした▼ちょっと話は前後しますが、本作が複雑な(と私には思える)構造をとっているので、あちこちのヒントを集めながら書いていきます。鏡の中の邪悪な魂は、抜け出てきたのはいいけれど、入り込む肉体がなければ存在できないから、生きている「本物」に乗り移ります。この辺りは「悪魔もの」でおなじみですが、鏡の悪魔の厄介なところは聖書を読んでも悪魔払いをしても効き目がないこと。どうやってこいつを退治するのか。残念なことにそれについては分かりやすいノウハウを映画は示していませんが、これがいちばんいい答えかと思えます。リュス・イリガライ(ベルギーの女性研究者)がズバリ「鏡、その向こう側から」という論文で「同じところに帰属する彼女たちをどう識別したらいいのか」と疑義を呈する。映画でもヒロイン、ジーナ(レナ・ヘディ)や彼女の父親ジョン(リチャード・ジェンキンス)のソックリさんが街を歩いているところを、知人や第三者に目撃されています▼ソックリな女ふたり。ここでいう「わたし」とは鏡の中の偽物です。「どうやって彼女と私を見分けるのか。絶えず(鏡の)向こう側へ移動すれば、常に越えれば見分けられる。なぜなら彼らのスクリーンのこちら側では、これらの映像、言説、幻想のすべてが私を麻痺させ、わたしは生きられないからだ。わたしを動けなくする。わたしを凍りつかせる。彼らの賛美、賞賛、彼ら(リアルな人間たち)が愛と呼ぶものまでもが、わたしを凍えさせる」早い話偽物は鏡を出たら、死んじゃうのよ。なんでそんな危険を冒して鏡の中から出てきたいのか。イリガライは単純に「表側で生きたいからよ」としています。邪悪な魂でも自由が欲しいのでしょうが、そんなことさせられない、地獄にとどまっていてくれないと困ります。そこに帰着させるため、映画は偽物にとんでもないミスを犯させます。

 

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