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特集「祝カンヌ国際映画祭女優賞/ダイアン・クルーガー8日間」

2017年9月16日

特集「祝カンヌ国際映画祭女優賞/ダイアン・クルーガー8日間」⑥
パパが遺した物語(2015年 家族映画)

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監督 ガブリエレ・ムッチーノ

出演 ラッセル・クロウ/アマンダ・セイフライド/ダイアン・クルーガー/ジェーン・フォンダ

シネマ365日 No.2240

ふたつの孤独 

★15-18_ダイアンクルーガー2

よくできた父娘ものです。ラッセル・クロウが娘を溺愛する作家ジェイク、娘ケイティにアマンダ・セイフライド。この二人、「レ・ミゼラブル」で共演ズミでしたね。何をやらせてもまず、仕損じがないと言える。ジェイクのエージェントにジェーン・フォンダ、ケイティの精神科医にジャネット・マグティア、ケイティの実習指導に当たる医師コールマンにオクタヴィア・スペンサー。オスカーのウィンナー、ノミネーがずらずら出ています。アマンダは幼児からのトラウマで人を愛せない恐れから逃れられず、行きずりの関係を繰り返す、心が空っぽの若い女性を好演しています。ラッセル・クロウはこれ以上娘を可愛がるパパはいないという父親です。交通事故で妻を死なせ、自分も脳に損傷を負い、辛い発作に耐えながら娘のために小説を書きます。よく出来すぎたパパで、ラッセル・クロウだとは信じられないくらい▼見ごたえのある映画だとした上で、さて、我らがダイアン・クルーガーはヒロインの叔母エリザベスです。夫は弁護士。息子が二人いるが、娘が欲しくてたまらない。義弟のジェイクが入院治療を受ける間、ケイティを預かることにした。7ヶ月に及ぶジェイクの入院で、エリザベスはすっかりケイティに情が移り、自分の娘にしたくなる。そもそもジェイクの運転で妹は死んだのである。妹はジェイクに殺されたようなものだ。息子たちもケイティを実の妹のように可愛がり、ケイティもなついてくれている。この子になんの不自由もさせず、裕福な自分たちの家で育てた方が将来のためだ、と信じて疑わない。ケイティを迎えいれるため、玄関に現れた叔母は「ケイティ、あなたと一緒に暮らせて幸せよ」と笑顔で抱きしめる。ダイアンが目のさめるような美しさです。ジェイクが退院し、娘を引き取りに来たのが(もともと彼の娘なのだから当然なのですが)大いに不満です。弁護士の夫ウィリアムが制するのも聞かず、ケイティを養女にしたいと頼む。ジェイクはプイッ。ろくに返事もせず娘を連れて帰ってしまう▼エリザベスにとってはたった一人の妹だった。ジェイクは「妻は姉を嫌っていた。エリザベスは自分勝手で手厳しい」と批判。ウィリアムは「姉妹のケンカさ」と取り合わず「ともかく、君と僕は常識人だ」。エリザベスは常識人ではないのですね。やっぱりこういう役こそダイアンなのね(笑)。エリザベスは父娘を夕食に呼んだり、自分の誕生日のパーティに招待したり、ケイティと接点を保つためにあれや、これや、手を打つ。映画は、母親の愛を知らずに育ち、父は入院、不安定な幼年時代を過ごし、あまつさえ父は発作で不意に死ぬ。自分は愛する人と一緒に居れない運命なのだ、それが恐れになって、誰かを愛することに踏み出せない…そういうケイティの孤独は充分描き込まれるのですが、エリザベスがケイティに執着する内面は、サラッとしていて、なかなかわかりにくいと思われます。夫との会話の最中にも、タンブラーを離さないエリザベスを、監督はきちんと描出していますから、彼女がほぼ依存症であることはすぐわかります。広い屋敷の中で贅沢に暮らしながらも、エリザベスは満たされていない。のちに夫の浮気を理由にエリザベスは離婚します。そしてジェイクが死んだ後ケイティの後見人となる。成人したケイティにエリザベスは「あの頃の私はとても厳しかった。いい年をして愛を知らないの。ひどいわね。私の両親と同じよ。母はとても意地悪な女で、父は日曜の夕食に顔を見るだけ。ケイティ、男は愛がなくても生きていける。でも女は違う」。少女のケイティが眠る部屋を覗いたエリザベスが、「ケイティ」と声をかけ、眠っているのを見て、出て行く。酒がやめられない。念願の娘を得ながらもエリザベスの孤独は癒されないのです。幸せなことにケイティは空っぽの心が埋まる相手に巡り合ったが、エリザベスには誰もいなさそうだ。こう見ると、誰かの出現によって埋められる孤独なんか、相手さえいれば救われる。どうしようもないのは、誰にも埋められない、自分自身が孤独の化身であるような、ミケランジェロ・アントニオーニの描くような孤独ですね。「情事」とか「太陽はひとりぼっち」とか。エリザベスはこっちのほうです。ダイアンは少ないシーンとセリフで、「常識人でない」女の断面を演じました。自分の寂しさの正体がわからず「女は違う」といわざるをえなかったエリザベスの真意はどうなのでしょう。「女は愛がなくては生きていけない」なのか。違うように思うのです。彼女は「愛を知らない」と告白している。愛がなくて生きていけないのではなく、愛を信じられない自分がつらい。そこをよく演じたと思います。

 

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