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特集「昭和のスター列伝」

2017年10月25日

特集「昭和のスター列伝1」 石原裕次郎①
狂った果実(1956年 恋愛映画)

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監督 中平康

出演 石原裕次郎/北原三枝/津川雅彦

シネマ365日 No.2279

眩しさの海 

★23-27‗昭和のスター列伝1-2

小樽の石原裕次郎記念館で、彼の手紙を見て達筆に驚いた。マコ夫人(北原三枝)も、彼からもらったラブレターが「これが21歳の青年の字だろうか」と驚嘆したと著書で書いていた。梯久美子氏の「世紀のラブレター」を読めば、身も世もあらぬとはこれを言うのだろう。書き出しは「僕だけの、僕だけのマコ、ハ〜イ、ハ〜イ」(何がハ〜イだ)「絞め殺すほど抱きしめたい」「僕達ほど、いや僕程幸せ者はどこを探したっていやしないね。大好き、大好き、大好き、マコ、今何をしているの」結婚後、たいていの男性の多くのように、裕次郎も、必ずしも忠実な夫ではなかったかもしれないし、ゴシップも愛人説もあったが、北原三枝が動じた様子はない。きっとあんなラブレターをもらっていたら、何が起ころうと屁の河童だったにちがいない。裕次郎は結婚までのほとんどの作品で北原三枝とコンビを組む。飛翔するような裕次郎の人気に、北原三枝が乗っかったような書き方を芸能週刊誌はしたが、裕次郎をメロメロにした女性が北原三枝だった。裕次郎は映画入りする前から北原三枝の大ファンだった。男友達があれこれあげる女優の中で、俺はあの女優がいいと、名前を挙げたのが北原三枝で、彼はデビュー前から惚れ込んでいた▼この映画を見るとそれがよくわかる。ジャケ写になったのは当時のポスターだ。これがセンセーショナルだった。むき出しの裕次郎の半身に北原三枝がすがりついている。美しくエロチックで、言葉を拒否するむき出しの情連の世界があった。裕次郎は苦悶するように女から目をそらし、女の切なさを全身で受け止め、受け止めながらためらい、ためらいながら引きずられていた。映画を見直して、こんな豊かな、繊細な感受性のある裕次郎に、セリフを喋らせるのは間違いだ、とさえ思ったほどである。裕次郎と津川雅彦が兄弟役だ。弟が北原美枝に一目惚れする。兄貴の裕次郎が、最初は冷やかしていたが、セクシーで影があり、ミステリアスな北原三枝にのめり込み、弟から奪ってしまう。「あの女が欲しくて、欲しくて仕方ねえんだ」と、まるで女を呪詛するように顔を歪めて呻く。女も女で、弟には内緒に、と言って兄貴と関係するのだからしたたかだ。獣が身を潜めて舐めあうようだ▼二人はヨットで沖合に出てそのまま漂う。明けても暮れても海の上で言葉も交わさず抱き合っている。海上に日は沈み船影一つない。刹那的で、燃え尽きるのは目に見えている。どう見てもうまくいくはずのない恋だが、裕次郎と北原三枝の野生的な肢体が(これじゃつべこべ言っても仕方ないよな)という気にさせるのである。このあと二人が周囲を説得し、弟に平身低頭し、めでたく結婚式を挙げ、市井の家庭人になるシーンがでたらお笑いである。だからラストはこうなる。弟はモータボートで追い、ついにヨットを突き止め、ヨットの周りを旋回する。津川雅彦の目には狂気が宿り、先に恋人を、次に兄を、疾駆するボートで切り裂く▼荒削りで台詞はことごとく棒読み、聞き取りにくくさえある。だが、スピードのある演出がテンポよくシーンをつないでいく。岡田真澄がニヒルな湘南ボーイの一人で出演。彼はずば抜けてハンサムであった。フランソワ・トリュフォーが本作を激賞したと伝わる。トリュフォーに褒められたのがそんなにうれしいか。中平康の手腕を認めるだけで充分だろ。今となればそれすら蛇足かもしれない。この映画の主人公は「海の入り日と一緒に去ってしまった永遠」もう記憶にしか跡を止めていない、だれしもにあった昭和という追憶の「眩しさ」なのだ。

 

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