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特集「昭和のスター列伝」

2017年11月30日

特集「昭和のスター列伝2」吉永小百合⑪
千年の恋 ひかる源氏物語(2001年 ファンタジー映画)

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監督 市川崑

出演 吉永小百合/天海祐希/常磐貴子

シネマ365日 No.2315

デーモン 

★28-30‗昭和のスター列伝2-3

あまり高評ではなかったけどよかったですよ。紫式部の吉永小百合が、源氏物語の執筆に沿って映画のガイドラインを作っていく。2時間20分の長尺でもやはり「源氏」を描き切るのは無理がある、そうふんだ上で取った手段だと思います。何がよかったかというと、光源氏というセクハラ・レイプ男が割ときちんと描かれていたこと。天海祐希の源氏ときたら「もうあなたを離さない」とどこかしこ、だれかれかまわず言いまくり、女性だったら誰でもいいと言わんばかりのプレイボーイ。そこへ紫式部が顔をのぞかせ「夢の殿方の正体をお見せしましょう」などとツブシなことをいって、源氏の所業を並べ立てていく。もちろん男の暴露本だなんて書けませんから、女なら誰でも憧れる「眩しさの君」に仕立て上げた。紫式部がすごいのは、源氏の図々しさと傲慢と、女性蔑視にエゴイストぶりを思う存分書きまくり、男に、というか男が女を踏み台にするのが当然の社会システムに意趣返しをし、溜飲を下げ「後世の人が読めばわかる」と知らん顔を決め込んだことね。ラストで「あれは女の歯軋りです」と吉永小百合に言わせているけど、捨てられたあげく怨霊や物の怪に姿を変え、気が狂った女までこしらえた物語が、たかが「歯軋り」ですむンかい▼天海祐希が貴族の正装で蹴鞠する、あるいは雅楽を舞うシーンは綺麗だったわ。顔が小さくて手脚が長いから、たっぷりした袍(ほう)と表袴(うえのはかま)の上下がよく似合うのよ。白馬に乗って明石から京へ凱旋する騎乗姿なんか、凛々しくてけっこうよ。これにいかれてしまうのね。もっとも紫の上(常磐貴子)とのベッドシーンは失笑ものよ。天海祐希は当然とはいえ上半身背中だけを見せ、これが限界とはいうものの、隔靴掻痒は否めないわ。それに源氏はベッドでも冠をつけているじゃない。貴族の習慣? 興奮して跳ね飛ばしてしまう女は一人もいなかったのね。まさか源氏はハゲだったのでは▼紫式部は道長の娘彰子の教育係となり、彰子の質問に一つ、一つ答えてやる。どうして女の立場は弱いのか、解せない彰子に「女は男より強いとお思いください」。直接的な理由は「子を産むから」でしたが、紫式部はもっと深い根のある理由、男の表世界に拮抗する、サタンの申し子のような存在を考えていたに違いありません。彰子はめでたく帝の妃となった。道長は舅である。紫式部の英才教育のおかげ、京都にいれば「栄耀栄華は思いのままじゃ」という道長の慰留を断り、「自分の仕事は終わったから」と若狭に帰郷します。映画では道長を拒絶していますが、さあ、どうでしょうね。紫式部にとって道長とは、時の最高権力者というのはうわべだけで、中身はけっこう面白い男だったと思うのです。彼の日記「御堂関白記」は当時を検証できる稀有の資料ですが、誤字脱字だらけで有名です。文は人なり。言葉と文章と観察の天才・紫式部からすれば、道長とは位階頂点を極めながら、どうしようもない脱線男だった一面が見えたでしょう。事実道長は年の離れた姉に頼りっぱなしで、年上の女に可愛がられる甘え上手なところがありました。そんなことを考えていると、吉永式部の、まじめくさった顔に浮かぶ物思いが「ハハン、あるいは」の想像を誘います。ラスト、天海祐希の老残の源氏、アバタ顔にのけぞったわ。インパクトありすぎ。もしこの映画がダイジェスト版を免れていないという不満を覚えたら、いい機会だと思って原作に挑戦すれば。頭と思えば尻尾、尻尾と思えばまた頭、九尾の狐みたいな紫式部の物の怪が跳梁しているわ。そのデーモンこそが物語を書きぬいた原動力であり、昼社会を閉ざされた女が、自分自身を解き放った夜の世界だったのよ。

 

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