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特集「ほんまか、アラン・ドロン!」

2017年12月1日

特集「ほんまか、アラン・ドロン!」①
チェイサー(1978年 ミステリー映画)

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監督 ジョルジュ・ロートネル

出演 アラン・ドロン/ミレーユ・ダルク

シネマ365日 No.2316

ミレーユの存在 

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2017年5月アラン・ドロンの引退表明が報道されました。過去にも引退するといってカムバックしていますから、どうなるかわかりません。でも81歳という年齢を考えると今度は本当だという見方が強い。そうかなあ。最後の映画はパトリス・ルコントのメガホンで、共演はジュリエット・ビノシュとまで決まっています。人生の最後にホントの愛を見つける男の映画だそうです。愛といえば、彼と長年のパートナーだったミレーユ・ダルクが2017年8月に亡くなりました。ドロン引退でがっかりしたのではないかと思いました。作品は多くなく、出演はほとんどアラン・ドロンとの共演でしたけど、いい女優さんでした。本作にも出演していますが、冒頭ろくに喋りもせずアラン・ドロンの背中に隠れる。むろんドロンの愛人役で、彼は成功したパリの実業家グザヴィエ、愛人フランソワーズ(ミレーユ・ダルク)とは仲睦まじく、彼女はグザヴィエが大好きで、男の邪魔にならぬよう内助の功を尽くすタイプ。こうも図々しく公私混同した映画を撮る男なんて俳優の風上にも置けぬ、と言いながら見てしまうところが「腹立たしい男」の面目なのでしょう。彼の半世紀以上に及ぶ役者というか、スター生活で、演じたことのない役を探すのは難しい。ダボハゼみたいに出演するのになかなかソッポを向かれず、1960年代、フランス映画界の「ドル箱」をジャン=ポール・ベルモンドと、荷いあいました▼しかしさすがのドロン神話も70年代に入り、映画そのものが斜陽化するとともに、人気に陰りが見え始めた。これはちょうどその頃の映画で、それまでのアラン・ドロンのヒット映画の「いいトコ取り」みたいな所が随所に見られる。ジョルジュ・ロートネル監督はよほどアラン・ドロンとウマがあったのかもしれない。いや、アラン・ドロンと、というよりミレーユ・ダルクと、といったほうが当たっています。「恋するガリア」「雌猫と現金」「太陽のサレーヌ」と彼女の20代に立て続けに3本。この時期のダルクは立派に独り立ちしたフランスの女優で、アラン・ドロンの添え物なぞではなかった。小さな顔、引き締まった顎、金色のショートカット、スレンダーな体、長い手脚、きらめく瞳はミステリアスで、男に対してもお金に対しても、物欲しげなところがひとつもなかった、少なくともそういう役がよく似合ったのです▼アラン・ドロンは女性に人気があって男性にはイマイチというのはおかしい。彼が演じる、彼はストイックで、友情に厚く、孤独な男を好んで演じてきました。それらは男のヒロイズムを充分に満足させるパーソナリティであり、世の男性はアラン・ドロンが刑事を演じようと、ギャングを演じようと、友を裏切らない男気に内心、大いに共感したのである…あるに違いない。それというのも「俺はアラン・ドロンが好き」という男性が極端に少ないのだ。あの美しい容貌に気圧されるのだろうか。男は女みたいに無邪気にアラン・ドロンファンを標榜することは、はばかられるものがあるらしいのだ。ミレーユ・ダルクの存在は、それでなくとも口にしにくかった、アラン・ドロンへの抵抗を決定的にしたように思われる。成功したフランス随一のセレブ、俳優のみならず映画を仕切る辣腕のプロデューサー、かっこいい? 冗談ではなく憎らしい男というべきでした。そこへ、なんだと、あんないい女までものにするなんて…表にシャシャリ出ず、男を立て、裏方に回って的確な助言ができる有能な女性、それがミレーユ・ダルクだったから世の男たちは口が裂けてもアラン・ドロンなんか認めたくなくなったのだ▼話を「チェイサー」に戻すと、成功した実業家(映画界におけるサクセス)、優しく美しい愛人(公私ともミレーユのこと)、友情に厚い(親友の死の真相を懸命につきとめる)、悲劇がつきまとう男(「冒険者」たちのオマージュか、流れ弾に当たって可愛子ちゃんが死ぬ)。アラン・ドロンは大人の大女優に目をかけられたが、本作ではステファーヌ・オードランがそれらしき存在を発揮する。まあ、こんなふうに、筋書きはさておき、アラン・ドロンの作品では地味ながら、その気になってほじくると、なかなか面白い映画でした。

 

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