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特集「ほんまか、アラン・ドロン!」

2017年12月8日

特集「ほんまか、アラン・ドロン!」⑧
生きる歓び(1962年 コメディ映画)

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監督 ルネ・クレマン

出演 アラン・ドロン/バーバラ・ラス

シネマ365日 No.2323

アラン・ドロンは走る 

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印刷屋(実は黒シャツ党)の娘、フランカ(バーバラ・ラス)に一目惚れしたユリス(アラン・ドロン)は、娘の気をひこうと、にわかテロリストになりすました。そればかりかフランカが憧れるテロリストの英雄カンポサントだと名乗ってしまった。一家の屋根裏に住む爺様とユリスはウマが合い、爺様からカンポサントの履歴を教えてもらい、その場しのぎをやる。ユリスは孤児だった。兵役を除隊したものの、食うあてもなく、相棒のツリドと街をうろついていたのだ。食いはぐれた若者二人が片隅の路上にへたり込み、「腹が減った」「寝ろ」「猫がやかましくて眠れない」「食うか?」とユリス。「バカいうな」「猫を食う覚悟があれば何でもできる」街をほっつき歩いていた二人は、たまたまファシスト団体「黒シャツ党党員募集」の張り紙を見て何も知らず入党した▼アラン・ドロンとルネ・クレマンによるライト・コメディです。仕方なくユリスはテロリストの真似事をやりだす。ところが本物のテロリストが爆弾を仕掛け、将軍暗殺を狙っていると知る。場所は遊園地だ。ユリスは必死になって阻止するために走り回る。偽物だとばれてしまうとフランカの愛を失うだろう、でも見す見す無辜の市民を巻き添えにはできない。それまでノンポリの見本みたいだったユリスが、主義主張はどうでもいい、とにかく人を助けようとなりふり構わずドタバタします。身の軽いアラン・ドロンが三枚目を熱演する。ルネ・クレマンは何が言いたかったのか。無思想・無節操、いや半分詐欺師のユリスが、人を救うために走り回る、生きる歓びとは、人のその熱い心だといいたいのでしょうね。「太陽がいっぱい」と本作で、ルネ・クレマンはアラン・ドロンの、ぞっとするような美貌をスクリーンに残しています。24、25歳くらいだったと思います。ドロンとクレマンの共作は他に「危険がいっぱい」「パリは燃えているか」がありますが、二人が楽々と肩の力を抜いて作っているのは本作でしょう。「太陽が…」「危険が…」にある、殺すの、殺されるの、という心理的なしんどさもありませんし▼犯罪映画とアラン・ドロンは切っても切れない縁にありますが、本作は彼の性格の特徴である「一生懸命」が、とても素直に表れている映画です。一生懸命とは本来ダサいものなのです。汗水垂らして目的に向かっていく、脇見しないで打ち込む、しゃれた冗談も通じない、息抜きも下手。アラン・ドロンとは一枚皮を剥がせばそんなキャラです。映画界に入らなければほぼ塀の中だったと思える。自分でも言っています「持っていたものといえばこのツラだけだった」と。顔一つ、体一つで生きてきた男。地べたから這い上がるため、必死で努力した男なのです。その汗まみれの顔を人に覗かせるアホではなかっただけです。広い自宅の庭(というより森)みたいな一画で「今の僕は、自分の家で自分の映画も見ることができる」とインタビューで答えていたことがあります。成功の甘き香り。いいじゃないですか▼ルネ・クレマンはアラン・ドロンをよく知っていた。人から見ればチンピラ同様だった。功なり名遂げた映画界のプロデューサーや監督や、女優から蔑視・軽視を免れなかった彼を「太陽…」に抜擢するよう勧めたのはルネ・クレマンの奥さんです。アラン・ドロンというやつ、どこまで女に強いのでしょう。でもそれだけなら一作のヒットで終わったかもしれない。ルネ・クレマンという男に見えたのは美貌の下の底なしの飢餓感で、修業僧のようにストイックで、努力家で、権力を握ろうとする映画界の堕天使だったと思う。アラン・ドロンの半生を知った上でこの映画を見ると、遊園地を走る彼の姿に、映画界を走り出そうとする彼の姿がだぶる。相手役のバーバラ・ラスは、当時ロマン・ポランスキー監督と結婚していたと思います。彼の最初の奥さんです。

 

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