女を楽しくするニュースサイト「ウーマンライフ WEB 版」

  • facebook
  • twitter
  • line
  • rss

特集「銀幕のアーティスト」

2017年12月25日

特集「銀幕のアーティスト7」②
エゴン・シーレ死と乙女(2017年 社会派映画)

監督 ディーター・ベルナー

出演 ノア・サーベトラ/ファレリエ・ベヒナー

シネマ365日 No.2340

身投げできるの? 

銀幕のアーティスト6-1

エゴン・シーレについては「愛欲と陶酔の日々」でコテコテ書いたので、あまり書くこともないのですが、つい好きな画家なので「死と乙女」も見ることにしました。大まかな所感は変わりませんが、シーレの画集を見なおして、映画とは無関係に、彼の本質をよく表すのはヌードや人物ではなく、風景画ではないかとふと思いました。この感触は以前からついてまわっていて、「愛と陶酔…」でも、日没の四本の木や古い町並みの絵のことをくどくど書いています。映画の所感からそれるようですが、あの酷薄なまでにエゴイストのシーレに、女がなぜ献身的に尽くしたのか、彼が劇中語るセリフからは、どうしても尻尾がつかめなかったのです▼彼が口にする、例えばこんなセリフ「芸術家は金の心配などすべきじゃありません。500クローネお貸しください」といけ図々しく叔父に借金を申し込む。「ゲルティ(妹の名前)、アントンと寝たな。許せない!」「何よ、自分はやりたい放題のくせに」。妹(一説には姉)とエゴンの近親相姦めいた挙動が映画でもありあり、妹が男と寝るのは許せないとエゴンが怒り、勝手な言い草も大概にして、と妹は言い返しています。当然ね。彼を守る女がいなければ何もできなかった芸術家がまさしくエゴン・シーレです。スペイン風邪で妹エディットを死なせ、その夫エゴンも死の床にいる。エディットの実の姉は冷たくゲルティに言う。「冷酷だと思われても彼には何もしたくない。思いやりのない男よ。冷淡で身勝手で、妹も他の女たちを散々利用したわ」おっしゃる通りね▼モデルだったヴァリこそ糟糠の妻でしたが、エディットと結婚すると決めたエゴンはヴァリを抱擁しこう言います。「去りゆく者を抱きしめる感じだ」「私を捨てるの?」「入隊だよ。プラハで軍事訓練だ」「あなたを追ってどこまでも行きたいけど、お金がないわ」「妻にふさわしいのは君じゃない」「どういう意味? つまり出征する前に姉妹の一人と結婚するの?」「そのつもりだ。結婚は形式だ。絶対しないと言っただろう。僕らの関係は変わらない」「お終いよ」「僕の絵には君が必要だ」おまけに「君と結婚協定を結びたい。秘密の結婚だ。ここにサインしてくれ」そこには「毎年エゴン・シーレと休暇を過ごすことに同意します」とある。尋常の神経ではありません。しかしエディットにしてもエゴンと結婚して幸福になったか。「エゴン、入隊したあなたを追って宿から宿へ…」「君に捨てられたら湖に身投げする」エディットは真面目に訊く。「身投げできるの?」身投げなどできるはずもないダメ男であることはわかっています▼で、風景画に戻ります。これがまるでメルヘンのような可愛らしい絵なのです。エゴン・シーレは毒々しいまでに醜悪な、陰険な絵を描く一方で、こんな愛らしい画調の底辺に不安や陰影は漂うものの、幾何学的な美しさと規律が、晴れた冬の朝のような引き締まった空気を感じさせます。同時に一場の夢のような幼さと明るさがある。「死と乙女」はエゴンの傑作かもしれませんが、唾を吐きかけたくなる女がいたって、不思議はないと思うのです。あれは、すがりつく女を突き放し、逃走しかけている男の絵です。この絵の価値は、愛の裏面にある打算と残酷さをあからさまに描き出したことです▼そして本作で忘れられないシーンの一つは「“駅”を持ってきて」とエゴンが妹に頼みます。妹が持ってきて床に置いたのはトレイン・セットです。レールの上をくるくる回って走るおもちゃの汽車を、エゴンが楽しそうに見ている。このシーンがメルヘンのような風景画とリンクして仕方ない。本質的にエゴン・シーレとは一人前になれない男であり、それだけならただのクズですが、なまじ絵が天才的だっただけに女はいかれるのです。火に飛び込む蛾みたいに。なぜか。女こそもともとアナーキーであり、反社会的であることを位置付けられた人類ではありませんか。ボーヴォワール的に言えば「他者」であり、男に従属する運命を刷り込まれてきた。社会が「俺たちの仲間にしてやらないよ、寄せてやらないよ」といわれる遺伝子をエゴンも女もどっちも持っていた。同類なのです。ゲルティといい、ヴァリといい、エディットといい、エゴンと出会ったのが災難だったとしかいいようがない。そう思いながらもエゴンの夕陽の木立は詩情溢れ、女たちは物悲しい。その正体がどこからくるのかわかりません。男との関係に潜む愛のやり切れなさを知った女は、エゴンの絵に自分のかけらを見出すのかもしれません。