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特集「銀幕のアーティスト」

2017年12月26日

特集「銀幕のアーティスト7」③
ファブリックの女王(上)(2016年 伝記映画)

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監督 ヨールン・ドンネル

出演 ミンナ・ハープキュラ

シネマ365日 No.2341

ライフスタイル 

銀幕のアーティスト6-1

「従うべきは美のみ。実在するのは夢だけ。力の源は愛」。北欧ブランド「マリメッコ」の創業者アルミ・ラティアの信念を主演女優、ミンナ・ハープキュラが述べる。劇中劇という形で、ミンナはアルミを演じながら、解説者としてアルミの生涯と仕事を絵解きしていく。無類の努力家であり、経営者であり、美の追求者だったアルミは、才能ある人物にありがちな、自己顕示欲、わがまま、独断を伴っています。マリメッコは世界的なブランドとなったが、とどまるところを知らぬアルミ社長の夢の現実化は、度々破産の危機を呼び寄せた。放漫というのは当たらない。彼女は夜も昼も、一心不乱に働く仕事の虫だった。仕事にのめり込むあまり人の意見を聞かなかっただけだ。彼女自身のレジュメをミンナがこうまとめています▼「20歳のとき、ヴィリヨ・ラティアと恋に落ち、デザイン学校卒業と同時に結婚した。裕福なラティア家に歓迎されたとは言えない。二人は海沿いの新居で結婚をスタート、アルミは織物工場を始めた。戦争が勃発しアルミは弟3人を失くし、家も工場もロシア領になった。友人も思い出も愛するものはすべて失った。夫婦はヘルシンキに引っ越した。転居のすえ、市内の高級住宅街カイヴォプイストへ落ち着き、3人の子供と家族同様の家政婦ケルットゥと暮らした。アルミは広告会社で7年間、コピーライターとして働いた。1949年解雇。工業用布を扱う夫の会社で働く。40歳で人生は好転する。マリメッコが生まれ世界を席巻した。店舗は東京からニューヨークへ広がった。このすべてを仕切ったのがアルミ・ラティアだ。晩年の彼女は糖尿病に苦しんだ。病気と不摂生が命取りになった。1979年10月3日。アルミは世を去った。まだ67歳の若さだった」。彼女はインタビューで答える。「あなたの人生で、特別ないいことはありましたか」「特になにも。ひたすら働いただけ。でもカレリア(故郷)の港町と本を失い、3人の弟が死に、妹の夫も死んだ。火事が2回、倒産に破産。双子の男の子を死産、真実の愛は見つけられず、お金も食べ物も足りなかった。特別なことはなにもない」彼女は自らの苦労も語らず、家族を失った孤独にも触れず、失敗と不運を嘆かず、世界的なブランドの創業ですら「特別なことはなにも」と答えた▼経営が順風満帆だったとはいえない。原因は主にアルミにあった。「夫とその兄が私を追い出そうとしている。無神経な金の番人が。会社の名前を変えたい。私一人が頑張ってきた。なぜ私が株の半分を持っているのか。私のことを信じているのは私だけだからよ。そうでないと、誰も女に仕事はさせない。私は7人分の仕事をした。成果を横取りする人もいた。私は負けない。男は汚らわしい生き物よ。子供は欲しくない。何度も中絶できない。でもこの時代も悪くない。女は戦争で家と夫を失ったけれど、レースやコルセットからも解放された。自由に生きる、そのための服をマリメッコは提供する。保守的な黒い帽子や服に対抗する装いでありながらエレガント。初めてのこのショーを成功させるためなら、夫を中国に売ったっていい」。戦後まもない1951年のことだ。才能ある抜きん出た女がおしなべて泣かされてきた時代でした。アルミの独創は「牛小屋で泣いている女性たちに着飾ってほしい」それほど動きやすく着やすく、体を締め付けず、優雅な華やかさで心が明るくなるファブリック。アルミが世に送り出したのは、服ではなくライフスタイルでした。

 

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