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特集「最高のビッチ」

2018年1月24日

特集「最高のビッチ5」②へディ・ラマー
サムソンとデリラ(上)(1949年 歴史劇映画)

監督 セシル・B・デビル

出演 へディ・ラマー/ヴィクター・マチュア

シネマ365日 No.2370

男を横取りする女

特集「最高のビッチ5」①ティルダ・スウィントン

これは約70年前の映画です。思うに、ハリウッドの黄金時代を作ったのは、かようにわかりやすい映画だったのです。サムソンといい、デリラといい、ストーリーといい、愛と裏切り、それに伴う喜怒哀楽に満ち溢れ、生きることも死ぬことも愛する男のためにある、女のためにあると一抹の疑念も不安もない映画。観客は安心して興奮し、安心の結果納得した。映画で納得するとは、その映画の一部を自分の人生の一端に組み込んだことに他ならない。それくらい映画と観客の関係は密接でした。もっとも、関係を薄める他の娯楽って、少なかったこともありますけどね。だいいち、テレビもまだなかったのだもの。アメリカの白黒テレビが1941年、日本では1953年に放送が始まりました。それまで映画館は夢の館だった。サムソンが神殿の柱を倒す渾身のシーンは、大型映画を得意としたセシル・B・デビル監督ならではの壮大なセットです▼古いけれど書くことの一杯ある映画でして、主演女優へディ・ラマーはもちろんですが、その前に聖書伝説に現れた最高のビッチ、デリラとはどういう女性か。嫉妬深く、謀略好き、妹を裏切り、男を横取りする。しかしながらホイホイと抵抗もなく(どう見てもあるようにはみえなかった)女を鞍替えする、筋肉男サムソン(ヴィクター・マチュア)の女好きもかなりなもので、男たるもの、聖書の昔から万古不易の存在であるなあと妙に感心しました。物語は紀元前1000年前頃ですから、資料だ、検証だと、やかましいことを言っても無駄、というところがこの映画をいっそう面白くしています。デビル監督はデビル王国と呼ばれるヒット・メーカーで湯水のごとくお金を使うことで有名でした。作風は豪華極まりなく、特に女優の衣装に端的に現れた。女とはうるさい。スクリーンで一目見て、宝石はイミテーションだと見破り、衣装は見掛け倒しの安物だと値段を吹聴する。デビルが警戒したのは批評家ではなく女性の目でした。女性客が賛嘆すれば、嫌でも男を映画館に連れて来てくれる。だから「衣装も宝石も家具も絨毯も、本物だ、本物にしろ!」監督自身が非常なオシャレで、シルクのシャツに乗馬ズボンが似合うハンサムな男性でした▼怪力無双のサムソンは「偉大さと愚かさと賢さが同居する男」。ダン族が住むゾラ村にいて、美しく気だてのいいミリアムに愛されているのに、敵対関係にある隣国のペリシテ族の娘と結婚したいなどといっているやつ。母親のサムソン評を一言でいうなら「絹や宝石の輝きに目を惑わされるダメ息子」なのだ。裕福なペリシテ族の国に来たサムソンは、貧しい羊飼いの高望みとバカにされながら「素手でライオンを倒せば望みの娘を取らせる」と王の約束をとりつけ見事ライオンを倒す。彼は希望通り、恋するセマダールを望むが、サムソンに横恋慕したセマダールの姉デリラ(へディ・ラマー)が結婚式の席でサムソンをバカにし、頭にきたサムソンは大暴れ、煽りを食って花嫁と王は死んでしまう。「マムシ女」デリラは復讐を誓いサムソンに急接近。甘い言葉でサムソンを難なく絡め取り、彼の怪力の秘密は黒髪にあると知る▼彼女はサムソンを眠らせ髪を切り、褒賞である銀をがっぽり懐にした後、無力となったサムソンをペリシテの長官に引き渡す。残酷な彼はサムソンを見世物にし、死ぬまで粉挽男としてこき使うだけでなく、盲目にする。デリラはサムソンに怒る。哀れむのではなく怒るのがデリラらしい。「わたしの愛は誰よりも強い。何もかも捨ててエジプトに逃げようといったのに、あなたは故郷の女ミリアムに従い、わたしをおいて戻った。屈辱的だった」。ミリアムはミリアムでこういったのだ。「あなたがデリラに溺れている間にダンの村は壊滅状態になったのよ!」かわいそうなサムソン。男気があって勇敢で、力もちでみんなに好かれるのに、女の扱いだけがままならない。サムソンは身体中に巻きついた鎖を引きずり、広場に引き出され、ヤンヤと囃す市民の間でいたぶられる。デリラは長官に「わたしも仕返しがしたい」と耳打ちし、広場に降りると、小突き回されている盲目のサムソンに近づいた。