女を楽しくするニュースサイト「ウーマンライフ WEB 版」

  • facebook
  • twitter
  • line
  • rss

特集 LGBTー映画にみるゲイ

2018年2月1日

特集 LGBT―映画に見るゲイ232
ヴィオレット ある作家の肖像(上)(2015年 ゲイ映画)

監督 マルタン・プロヴォスト

出演 エマニュエル・ドゥボス/サンドリーヌ・キベルラン

シネマ365日 No.2378

友であり恋人であり父であり母

特集 LGBT―映画に見るゲイ

社会派あるいは伝記映画としたほうが妥当かもしれませんが、焦点をヴィオレット(エマニュエル・ドゥボス)とボーヴォワール(サンドリーヌ・キベルラン)に絞りました。ボーヴォワールへの思いがなければヴィオレットは作家になっていたかどうかわからない、ボーヴォワールはヴィオレットが時代を切り開く新しい作家だと確信したからこそ、物心両面にわたって支えた。「なぜ君はそこまでヴィオレットに献身するのだ」と聞かれ「義務だから」と答えています。ボーヴォワールらしい冷たい答えですが、義務や責任だけとは思えない。情のヴィオレットに対する理のボーヴォワールですが、母親を亡くしたばかりのボーヴォワールが、訪ねてきたヴィオレットが帰ろうとする「飲んでいかない?」と引き止める▼このシーンで彼女は泣くのです。「泣いている、この私が」…生まれてからもずっと、精神の紐帯で結ばれていた母親を失った娘の喪失感が一気に溢れていました。ボーヴォワールはヴィオレットを拒絶し通しましたが、心底はどうだったのでしょう。仕事に差し障りが生じることがわかっていたからでしょうね。二人の出会いは時を同じくして「第二の性」の構想・執筆時期と重なっています。女性観・女性史を転換した記念碑が誕生しつつあるときでした。監督は「セラフィーヌの庭」のマルタン・プロヴォストです。当時の社会に受け入れられなかった才能ある女性の悲劇を、情に流されずして情を忘れず、美しい映像に止めた監督です。主演のエマニュエルは、この監督に全幅の信頼を寄せ、難しい役を演じ彼女の力量を全開させています。タイトルロールのヴィオレットに対し、ボーヴォワールは従ですが、サンドリーヌを見たときの衝撃。若いときのボーヴォワールそのままね。ボーヴォワールは美人でした。痩せて背が高く、「あんな美人がなぜあんなチビの醜男と」と当時不思議がられました。監督は注意深くサルトルを登場させていません。外見はどうあれ、監督もまた映画の焦点をヴィオレットとボーヴォワールに絞り切りたかったのでしょう▼ヴィオレットの出生や母親との愛憎、才能の出口を求めていた彼女の力を認め、終始導き、ついに花開かせたボーヴォワールの献身。献身といっていいと思います。ヴィオレットの気持ちの負担にならぬよう、ボーヴォワールは将来性ある作家に対する出版社の前払いだと偽って、執筆に専念させるため生活費を出版社名義で振り込むのです。鳴かず飛ばずの時代はもとより、精神の疾患から入院し、退院して代表作「私生児」が世に迎えられ、ベストセラーとなって生活が安定するまで長年にわたって。事実がばれ、ヴィオレットに「バカにしないで」と拒否されてからも、続けるのです。伊達や酔狂でできることではない。ボーヴォワールには社会がヴィオレットを必要としていることがわかっていた。彼女は常にこういって励ましています「すべてを語りなさい。女性たちのために」そしてヴィオレットの描写が過激だと苦言を呈する出版社に「彼女は偉大な作家よ。不当だわ。ジャン・ジュネには寛大だったのに。女性が率直に性を語るのが許せないのね。汚いわ」「サルトルはなんと言っている?」「私と同じ意見よ。時代を築く偉大な作家だと」ヴィオレットにはピシピシ尻を叩きます。「女性の性は赤裸々に語られるべきよ。出版社が望む多少の改稿は譲歩するの。気持ちはわかるわ。いつか取り戻すのよ。私を見て。あなたは女性の性を詩と真実と多くのもので語った初めての作家になるのよ」迷える子を褒めたり叱ったりしながら軌道修正し、彼女があるべき正しい姿に生まれ変わらせる、友であり、メンターであり、母親であり父親のようなボーヴォワールです。