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特集 LGBTー映画にみるゲイ

2018年2月6日

特集 LGBT―映画に見るゲイ237
たかが世界の終わり(2017年 ゲイ映画)

監督 グザヴィエ・ドラン

出演 ギャスパー・ウリエル/マリオン・コティヤール/ヴァンサン・カッセル/レア・セドゥ

シネマ365日 No.2383

家は望みの港じゃない

カンヌ国際映画祭のグランプリです。グザヴィエ・ドラン監督の映画を一言でいうと「さらさら」です。「春の小川はさらさらゆくよ」のさらさら。繊細でスタイリッシュでドギツクない。人工的で精緻でユニセックス。ゲイの次男ルイが12年ぶりである日曜日、我が家に帰ってくる。迎えるのは母と長男アントワーヌ。工場で一日中工具を作っている。ルイの留守に結婚した嫁のカトリーヌがいる。子供は二人いるらしいがこの日は祖母の家に預けてきた。妹のシュザンヌにはレア・セドゥ。母にはナタリー・バイが扮する。よくこれだけの俳優が競って出演したものだ▼ルイが帰るのは自分の死期が近いからだ。彼はゲイのパートナーを亡くし、地元を離れた。「ゲイは美しいものが好きなのよ」と母はクジャクみたいに着飾って息子を迎える。ルイは成功した人気劇作家だ。アントワーヌは面白くない様子を隠しもせず、ルイが何か言いかけると話の腰を折ってしまう。ルイは苦笑して引き下がる。シュザンヌは気の強い妹で、ピシピシとアントワーヌにたてつく。「ルイ兄さんを尊敬している。でも私たちのためにその才能を活かしていない」とこれまたルイに批判的だ。唯一白紙でルイに接したのは嫁のカトリーヌだが「夫はあなたの話をしたことがない」。つまりルイはこの家で黙殺同然だったのだ。ルイが到着したのは午後1時。壁の鳩時計がきっちり時を刻む。母親が「兄と妹を励ましてあげて。何をしてもいいと。シュザンヌをあなたの家に呼んでやって。あなたはまだ自分が理解されていないと? その通りよ。とても理解できない。でも愛している。誰もこの愛は奪えない」。要は家族の愛に溶け込めず、孤立してきたルイの扱いに、母親は自分の愛を強調し、兄は異端児を嫌い排斥しようとし、妹は批判し、嫁はなんとなく義弟の感性に共感するものを感じるが、夫の手前あくまで距離をとる。ルイにしたら家族の元に帰ってきたのにそこは完全アウェーだった▼兄貴ときたら「俺たちは他人だ。ずっと他人だった。弟は人気のある劇作家。なぜ帰ってきた。クソな人生に俺たちを巻き込むの、やめろ」。ルイは親兄弟に借金でもしたのかしら。ゲイの息子が家にいると平穏だった家庭の分子構造が変わるとでも? それくらい毛嫌いする。やっとルイは「みんなにいくつか話がある。きっと何度も帰ってくると思う。前より長い手紙を書く。後悔しているから。シュザンヌ、遊びにおいで。兄さん、一緒に食事しながら話そう。週末でもいい。たまには仕事も休めるはずだ。町が好きだろ」歩み寄る弟を兄貴は家から引きずり出すようにして帰す。シュザンヌが喜んで「会いに行ってもいい、ルイ兄さん?」そう話しかけると「早く支度しろ、ルイ」兄貴は狂犬みたいに吠えまくる。ルイが昼過ぎに帰り、日没に出て行くまでの、日曜日の午後の数時間を扱っている。しかしどう考えても大げさなのよね。「この愛は奪えない」なんてことさら母親がいうか? 12年ぶりにあった弟に「お前は他人だ」と面罵する兄がいるかしら。顔を見た途端、あなたの才能は、私たちのためには活かされていないなんていう妹がいるかよ? どう考えてもリアルじゃないのよ。それを狙っているならそれでもいいけど、虚実を織り成して一枚の布にしようっていうのに、縫い目、継ぎ目を見せすぎだわ。「さらさら」のグザヴィエだから、心のすれ違いを扱えば天下一品のはずなのに、美しい雰囲気と映像と大げさなセリフが一緒くたになって失活を招いたとしか思えない。「実は俺、死んじゃうんだ、気にいらないことはあったかもしれないけど、水に流してくれ。さいなら」ですむ話でしょうが。そうそ。さすがグザヴィエだと思ったのは歌の使い方です。「家は救いの港じゃない。家、それは深くえぐられた傷あと。私の家には心臓がない。血管もない。誰かが押し入っても見えない血を流すだけ。私の脳には廊下がない。私の皮膚には壁がない。ここで人生を失うこともある。家は望みの港じゃない」こういうテクうまいわね〜。グランプリはこっちよ。