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特集「荻上直子じゃ!」

2018年6月14日

特集「荻上直子じゃ!」④
めがね(2007年 ファンタジー映画)

監督 荻上直子

出演 小林聡美/市川実日子/光石研/もたいまさこ/加瀬亮

シネマ365日 No.2510

「氷、ありますよ」

0611_15荻上直子

荻上直子監督の映画は風景が大事な脇役です。本作も与論島のエメラルドの海が、「メルシー体操」「かき氷を食べる浜辺」「朝夕の空」のシーンを詩的にしています。春風とともに飄然と島に現れかき氷の店(小屋のような木造り)を開けるサクラさん(もたいまさこ)、客の来ないホテル「浜田」の主ユージ(光石研)、遅刻ばかりしている高校の生物の先生ハルナ(市川実日子)。ケータイの繋がらない場所に来たかったという理由で、浜田に来たタエコ、時を同じくしてサクラさんもプロペラ機で空港に降り立った。タエコは民宿を訪ねて行く途中、掘建小屋の前で「氷、ありますよ」とサクラさんに声をかけられた。タエコは丁寧に断り先を急ぐが、もたいまさこの出現にギョッとする。翌朝、枕元に鎮座しているサクラさんは、異形の使者のようにショッキングである。もたいまさこと樹木希林は人間国宝ものだと思う▼「観光地のようなもの、ここにはありませんよ」とユージがいう。何があるのですか、ここの人は何をするのですか、と詰問調で訊くタエコに「たそがれる…かなあ」。とらえどころがない。朝は「メルシー体操」という妙な体操を浜辺でやる。タエコは同化されたくない。強引に浜田を引き払い別のホテルに移ったが、畑仕事が宿泊客の決まりだという収容所みたいな規則に退散する。道に迷い疲れ切ったとき、サクラさんの三輪車が現れタエコを乗せて浜田に戻る。ユージもハルカも快く迎える。翌朝、体操に参加する。海のそばにパラソルを立て編み物を始める。「ユージさんとサクラさんはご夫婦?」と、ハルカに訊くと「ものすごい関係」とだけ返ってきた。タエコのことを「先生」と呼ぶヨモギ(加瀬亮)がホテルに来た。「ここで飲むビールは最高です」「ヨモギ君、いつまでここに?」「飽きるまで。たそがれるのもサイコーです」。タエコにもだんだん「たそがれる」がわかってくる。ユージによれば「昔のことを懐かしく思い出したり、誰かのことをじっくり考えたり、ただすぎて行くのをじっくり待つだけ」が「たそがれる」コツらしい▼サクラさんはみんなに大事にされている。「タエコさん、昨日サクラさんの三輪車の後ろに乗っていたでしょ。私も乗ったことないのに」とハルカ。「タエコさん、いつまでここに?」「飽きるまで」「早く飽きてください」。まるで追い出したいようだ。そのくせ四人は毎日仲良く食事する。食事はきちんと、つつましく用意され、ロブスターの甲殻をバリバリと剥がし、プリプリしたムキ身に豪快にかぶりつくこともある。サクラさんは粛然とかき氷の下に敷く小豆を煮る。ゆっくりと大きな鍋で小豆を混ぜ、「大事なことは焦らないこと…」託宣のごとくつぶやく彼女は、タエコにとって畏敬ですらある。ある日朝食の席にサクラさんがいなかった。タエコがかき氷の小屋に走っていくと、小屋は閉じられていた。バッグ一つで島に来るサクラさんが何者か誰も知らない。「チベットでヨガを、プラハでオペラを教えているとか。でもわかったとしても何なのですか、それが。自転車の後ろに乗ったくせに」。ヨモギは帰った。タエコもある日帰りのバスに乗った。数ヶ月後。島で。「来た」「来た」空を見てユージとハルカがいう。春風と共にサクラさんが帰ってきた。飄々とバッグ一つで、ピシッと背中を伸ばし浜辺を歩いてくる。タエコが編んだレースのマフラーをなびかせ。かき氷小屋は再開された。ヨモギも来た。タエコも来た。浜辺では島の子供たちや大人が、元気にメルシー体操を始める…▼「めがね」というタイトルはとくに意味なし。荻上直子の映画に、特別な何かを求めるのは無用ですね。リアリズムでいうとホテル浜田は潰れそうだし、ハルカはクビだ。仕事とかお金とか、世間の因果関係から飛翔した世界なのである。「たそがれる」とは、楽観的世捨て人が踏み込む異界であり、そこに招かれるには、この呪文で呼びかけられる必要がある。「氷、ありますよ」