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特集「ヒッチコックが新しい」

2018年7月7日

特集「ヒッチコックが新しい」⑦
ロープ (1962年 サスペンス映画)

監督 アルフレッド・ヒッチコック 

出演 ジェームズ・スチュアート/ファーリー・グレンジャー/ジョン・ドール 

シネマ365日 No.2533

グロテスク大好き 

ヒッチコックが新しい

なんて不愉快な映画でしょう。冒頭ドアップの絞殺シーンから始まります。ヒッチコックは絞殺フェチでして、彼の殺しのほとんどは絞殺です。苦痛に顔を歪める被害者が、じわじわ死んでいく殺し方に彼は淫しています。「下宿人」「汚名」「舞台恐怖症」「めまい」「北北西に進路を取れ」「見知らぬ乗客」まだまだありますが、最大にコテコテの絞殺場面は「フレンジー」でしょう。ヒッチコックのグロテスク好きは、彼が映画監督にならなければムショ行き確実な性向でした。読書に耽溺する知的青年が若きヒッチの肖像であれば、密室でサドマゾに惑乱する妖しい若者もまたヒッチでした。そしてヒッチの作品の男同士はほぼゲイの関係にある、と言える。ヒッチは抱き合ったり、キスしたり、映すお人好しではありませんが、それとなく相手のネクタイを直したり、意味深な微笑を交わしたり、その気で見れば、陰にこもった暗い抱擁と同じシーンが随所にある▼本作も例にもれません。サラサラした会話劇が舞台のように進行しますが、二人で共謀して友人を絞め殺すという行為が、ただの友人関係でできるものでしょうか。おまけに主演の俳優二人が面食いのヒッチ好みのイケメンときています。フィリップ(ファーリー・グレンジャー)とブランドン(ジョン・ドール)は裕福な家庭の息子で学歴優秀、マンハッタンの摩天楼を見渡すマンションでハイソな生活だ。彼らが意図した殺人は「知的に優れた者は道徳的概念を超越している。善悪とは凡人のために作られたコンセプトだ」とニーチェの超人理論を信奉する。自分たちは優者であり、それを証明するために友人のデイヴィッドを殺します。二人はもっとスリルを味わうため、死体をチェスト(大きな長い箱)に詰め、彼の父親、恋人、叔母や青年たちの大学の教授ルパート(ジェームス・スチュワート)を招いて、チェストの上にご馳走を並べてもてなす▼招待客たちは、光や秩序や良識の世界に住み、青年二人は闇と混乱と狂気と衰退の世界に住む。どっちもヒッチが往還する精神世界です。彼には内省的で、人嫌いで、人間の心が隠すグロテスクで残酷なものを楽しむ淫蘭な嗜好があります。正常であれ異常であれ、性の逸脱に魅了されていた。ヒッチが映画作家としてサスペンスを生涯のテーマとしたのは、サスペンスとは自分だけの密室に閉じこもることのできる、ファンタジーの分身だったからです。しかしたとえ作劇上であろうと、現実社会の秩序は保たれ、回復されなければならない、ヒッチはそう考える律儀な社会人でもあった。それがエンドの、教授の長々した所信表明に至らせます。「ブランドン、今まで世の中や人々は僕にとって不可思議だった。僕は言葉の上で思想を明確にしてきた。君はそれを行為で投げ返した。だが君の解釈は思いもよらない。歪んでいるし間違っている。我々人間は君の言う優者であれ、劣者であれ、生きて考える権利を誰もが持っているからだ。君は友人を殺して彼の夢や愛や全てを奪った。僕は君たちが死ぬ手助けをするだけさ」。教授は窓から発砲し、通報によってパトカーのサイレンが近づく。ヒッチが思想劇を目指したはずはなく、青年が足を踏み外してはまり込んだ、悪の頽廃美が魅力だったのです。ことほどさように、ヒッチコックとは非情さに憧れ、悪夢にそそのかされ、黒い情熱の虜になることを夢み、それを実現するためにたゆまぬ努力を映画に捧げた男でした。彼に等しい編集のスキルを持ち、映画作りの戦友にして盟友だった妻アルマがいなかったら、どこかで野垂れ死してもおかしくなかった逸脱者を、心の中に隠しています。