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特集「ヒッチコックが新しい」

2018年7月8日

特集「ヒッチコックが新しい」⑧
間諜最後の日(1938年 サスペンス映画)

監督 アルフレッド・ヒッチコック 

出演 マデリーン・キャロル/ジョン・ギールグッド 

シネマ365日 No.2534

ヒッチ、匙を投げる 

ヒッチコックが新しい

 の映画に、今も通用する新しさを探すなら、スパイという裏街道の稼業につきまとういかがわしさ、裏切り、欺瞞、それによって崩壊する、というより初めから成り立たない人間関係の虚しさだろう。ヒッチコックは当然それを知り抜いていて、主人公のブロディ(ジョン・ギールグッド)、及びヒロインのエルザ(マデリーン・キャロル)に、さっさとスパイ活動から足抜けさせる結末になった、と思っていた。しかし、だ。ブロディは渋々スパイを日受けさせられたイギリスの軍人だし、彼と協力する女スパイ、エルザにしても目を剥くほどの凄腕でもなければ残酷でもない。お互いに一目惚れして、しかも任務を遂行して殺した相手が人違いで、無為な殺人にたちまち嫌気がさす、そして二人して「や〜めた」となるのだ。こんなヤワな映画がヒッチコックの深い思索から生まれたものだろうか▼劇中主人公は終始懐疑的。彼と合流する「将軍」と呼ばスパイがピーター・ローレだ。彼はまるでおジャマ虫みたいにスクリーンをウロウロする。この時期ローレは薬物中毒に陥っていて、彼の胡乱な目つきやセリフまわしは演技ではなかった。ジョン・ギールウッドは撮影中「ロミオとジュリエット」の舞台と掛け持ちで、夕方の公演に間に合うよう、いつも時間を気にしなければならなかった。唯一のプラス要素はヒッチお気に入りのマデリーン・キャロルだったが、さあ、どの程度まで仲良くなれたのだろう。ヒッチコックという男性が、映画作りを放り投げてのめりこむとは思えない。彼にとって俳優は「あくまで道具の一つ」とある女優が言っているのは、当たっていると思える。全体としてこの映画には興奮できる酸素が薄くて酸欠になる。仕組まれた殺人や殺され損の男性に対して一つも同情していないのはヒッチコック自身で、彼は一日も早くこの映画を撮り終えたかったばかりにさっさと殺してしまったと言わんばかりだ。そう思うしかない底の浅さなのだ▼そうなった一番の理由は主人公のキャラの設定だろう。主人公は「スパイ映画のハムレット」という設定に、シェイクスピア役者のジョン・ギールウッドは乗ったらしいが、いざ撮影が滑り出してみると、ハムレットみたいな懐疑的な主人公にスパイ映画の魅力を負わせるのは無理だと監督は気付いたのかも。すっかり興味を失ったが、誰のせいでもない、今さらやめるわけにもいかず、マデリーン・キャロルだけを見つめながら撮了にいたった、のではないかと思うのである。どだい、知的ノーマルな主人公ほどヒッチコック映画に不似合いなキャラはない。社会的なまともさはあくまで彼や彼女の擬態であり、皮膚の下に秘めた残酷さや異常性こそ、喉から手がでるほどヒッチはそそられるのだ。人間は誰でもアブノーマルだとパトリシア・ハイスミスはまだ世に出ないうちに日記に書いている。なぜかしら、と不思議なほどヒッチコックは「誰もが備える意識下のアブノーマル」に、この作品に関しては無頓着だ。「スパイなんてウンザリだ」と、上司に辞表を出す健全な主人公をこしらえてしまったことに、うんざりしたのはヒッチ自身だったにちがいない。