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特集「新宿2丁目を連れて歩きたいボーイフレンド」

2018年7月15日

特集「新宿2丁目を連れて歩きたいBF4」⑦
モハメド・アリ
アイ・アム・アリ(2014年 ドキュメント映画/劇場未公開)

監督 クレア・リューインズ 

シネマ365日 No.2541

偏見なき人間

新宿2丁目を連れて歩きたいBF4

モハメド・アリとはボクサーなのか? アリの半生を撮ったこのドキュメント映画を見ているとそんな疑問が湧く。世界規模のボクサーであるとともに、晴朗で健全で、勇気と良識に満ちた青年がいた。彼はベトナムの兵役を拒否したとき、こう言っている。「ベトナムでは子供が命を投げ打っている。知りもしない人の自由のために命を落としている。私は生きている。ヘビー級タイトルや小金、自分たちの自由などどうでもいい。私や他の黒人たちはなぜ何万キロも旅して、何も悪くない有色人種を攻撃しなければいけないのか。罪のない人々を殺すために何万キロも離れた国へは行かない」タイトルは剥奪された。世論は彼を支持した。ハーバード、イェール、プリンストン、コロンビア、ペンシルベニアなどの大学が彼を講師として招いた。「僕の高校の成績はDマイナスだった。成績が落ちたのは五輪の勝利のせいだよ」と笑わせた▼ボクシングを始めたのは12歳。40キロのひょろ長い少年だった。誰よりも早くジムへ来て誰よりも遅く帰った。兄は「彼は頭がよかった。リングで動き回ればパンチは入らない。路地に入って自分に石を投げろといい、投げたが一つも当たらなかった。その反射神経で、リングに上がればパンチをよけていた。自分は将来偉大になると言って笑われていた」。アリが子供たちに言い聞かせていたことは「食事はきちんと取るのだ。お金の管理もね」。世界規模の男には様々な要求があった。でもありにとってベルトより貴重なものは子供を育ててくれた義理の母の存在だった。「娘たちが学校にいる以外は一緒にいてくれた」と妻は回顧する。写真家カール・フィッシャー「アリはベトナム戦争の兵役を拒否し、ボクサーとして最も貴重な時期を失った。ボクサーの選手生命は短い。ある日『エクスワイヤ』の表紙担当が、アリを殉職者として捉えないかと言ってきた。自分の信じる人生のために受難した男を」聖セバスチャンのポーズをとったアリが表紙を飾った。1971年、ライセンスを剥奪された4年後、最高裁は全員一位で判決を覆しアリはライセンスを取り戻した。タイトルマッチをひかえたトレーニングの最中、毛糸の帽子をかぶった少年が来た。白血病の治療のため髪の毛が抜けた。アリは言った「いいかい、僕はフォアマンを倒す。君は病を倒す」。容態が変化した少年をアリは病院に見舞った。少年は「神様に会って、僕はアリの知り合いだというよ」。2週間後少年は亡くなる。アリと一緒に撮った写真が残された▼アリのボクシングは頭脳戦だった。「頭を使えば強者に勝てる。フォアマンは強いがスタミナがない。第5、第6ラウンド以後は経験がないんだ。第7、第8ラウンドで決着をつける」。フォアマンのパンチを巧みに避けていたアリは、うちくたびれたフォアマンに攻撃に出た。32歳タイトル奪取。フォアマンは振り返る。「プロとして初の黒星だった。6ラウンドに耳元で言われた。そんなもんか。そんなもんだったのだよ。悪夢だった。彼はスタミナ切れを狙っていたのだ」フォアマンは牧師となった。「試合に負けただけでなく、最も偉大な男に負けたのだ。不屈の精神の男に。時々言われる。彼は最強のボクサーかと。侮辱に近い質問だ。ボクシングは彼の一部でしかない。ボクシングだけで彼を語ることはできない。地球上で最も偉大な男だからだ」。妻のヴェロニカは「恋に落ちた瞬間を覚えています。21歳で結婚しました。式を挙げたのはザイールです。彼は自分に何かを課すことで運命をコントロールしていた。プレッシャーを与え、未来を生きていると感じていたのです。とてもやさしい繊細な人だった。夫として誠実ではなかったけど、彼にも言い分はあるでしょう。よく泣くのよ。みな知らないでしょう?」書けば書くほどアリの多様なキャラを貫いている簡潔な生き方が見える。チャンピオン・ベルトがなんぼのもんか、それと同時に「君は病を、僕はフォアマンを倒す」と言える男。戦うこと、なげうつこと、愛することも死ぬことも、全てを等価とみなした偏見なき人間のスケールに揺さぶられる。