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特集「ベストコレクション」

2015年11月26日

特集「星の降る夜は/ベストコレクション」⑫
イーダ(2014年 社会派映画)

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監督 パヴェウ・パヴリコフスキ

出演 アガタ・クレシャ/アガタ・チュシェブホフカス

シネマ365日 No.1581

イーダの旅立ち 

特集「星の降る夜は/ベストコレクション」

賞賛につぐ賞賛の嵐だわ、この映画。アカデミー外国語作品賞は受賞するし。正直いうと、シリアスでものすごく苦手な映画だから、手探りで書いていくわ。あどけない修道女アンナ(アガタ・チュシェブホス)が院長から「誓願式の前に、唯一の身内である伯母さんに会ってきなさい」と勧められる。初めて会うヴァンダ伯母(アガタ・クレシャ)という人が、現役の判事。以前は検察官で「赤のヴァンダ」と異名をとった辣腕検事だった。今は世捨て人みたいになって酒とタバコと男に明け暮れている。時代は1962年だ。ソ連が支配する共産党の抑圧に対し、抵抗する民主化運動が拡大していたから、ヴァンダは自分のアイデンティティを見失っていたのでしょうね。このヴァンダ伯母さんが出色です。姪にあうなり「あなたはユダヤ人、イーダ・レベンシュタインよ」と言う。冗談じゃない。敬虔なキリスト教の修道女として育った少女がユダヤ人だったなんて、キリスト教とユダヤ教とはローマ帝国さえ分裂させた宗教の激突ではないですか。ものものしい映画だ。スクリーンの雰囲気も荘重だ。頭をかかえたくなる▼80分の尺だから我慢して見ることにした。みなさんが褒めているのだから、きっといい映画なのだろう。でも、やっぱりというか、案の定というか「ミッション・インポッシブル」と「ターミネーター」の大ファンとしては(暗いのう)…トホホ。映像がまた墨絵のような世界(本作はモノクロ)です。荒涼とした野原。果てのない一本道をポンコツ車で走る叔母と姪。イーダの両親の埋葬場所を探していくのです。伯母さんはここでもグサッといいます「ユダヤ人の遺体は行方知れず、がほとんどよ。多くは森の奥に打ち捨てられるか、沼の底に沈んでいるわ。神などいないと、知ることになるかもしれないわ」…両親の死と、ユダヤ人であることが密接につながっている。ユダヤ人虐殺はナチだけではなく、ヨーロッパ全体の問題ではないでしょうか。ソ連のポーランド侵攻や、ポーランド人によるユダヤ人迫害が起こった背景には、もちろんナチズムはあったのですが、ではどうして張本人のヒトラーが台頭し、受け入れられたのかというと、第一次世界大戦で負けたドイツを、戦勝国は賠償金でコテンコテンにやっつけてしまった、敗戦国の国民の屈辱と鬱屈を、爆発させる矛先を与えたのがヒトラーだったのかもしれないと思うのです▼さて、イーダの両親が住んでいた家を訪ねますが関係者は口を閉ざす。かろうじて「シモン」という男性の手がかりをつかむ。その夜ヴェンダは酒場にくりだし、サックス吹きの男を連れて帰ってきて、入り口でバイバイ。イーダに「わたしはアバズレ、あなたは聖女」叔母の莫連ぶりにイーダは「お墓さがしはやめたの?」「探すわよ。わたしはルージャ(イーダの母)を愛していた。あなたはそっくりよ。人生を楽しむのよ」。翌日シモンを病院に訪ねた。シモンは死にかけている。レベンシュタイン夫妻を知っていた。「彼らはいい夫婦だった。森へかくまった」伯母は「そして殺したのね。いっしょに男の子がいたわね?」。イーダは初めて叔母のトラウマを知る。叔母は息子をイーダの母に預け、自分は「闘いにでかけた。その間に息子は殺された。息子のことはなにも知らない」罪の意識がヴェンダをさいなんでいる。遺体は森の奥に産められており、手を下したシモンの息子によって3つの頭蓋骨が掘り出された。叔母と姪は丁寧に骨を包み、別の場所にある家族の墓に埋葬した。遺体をさがす旅は終わったのだ▼イーダは誓願式を終えた。ヴェンダはイーダを修道院に送り届け、別れ際に言った。成長した娘を「ルージャは見たかったでしょうね」そして姪を抱きアパートに戻り、モーツアルトの「ジュピター」をかけ、部屋から飛び降りて死んだ。イーダは叔母の葬式で、サックスを拭いていた青年に会う。彼は兵役のがれのため、各地を転々とする楽団で仕事しているのだ。イーダは叔母のいない部屋にいき、ハイヒールをはき、服を着替え、髪をほどき、グラスの酒をあけ、タバコに火をつけ、男が演奏している酒場に行く。ベッドでいっしょに朝を迎えたイーダに男は聞く。「なにを考えている」「なにも」。男は言う。「イヌを飼って結婚して、子供をつくろう。家も買おう」。彼は真面目で誠実ないい男だ。一度寝たくらいで、なかなかこんなこと、いえませんよ。でもイーダは肯定も否定もせず、服をつけ部屋をでて修道院に向かい、門を入った。彼女の一生が始まるのだ。本作はイーダの出発物語ともいえる▼尼僧になる前に、懸案事項はひととおりだけどすませたってことね。伯母さんは言っていたものね。「きれいな髪をしているのに」隠してばかりでもったいないって意味よ。わたし、この伯母さん、好きだわ。重い荷物をしょって生きてきたけど、救われるものがない、というより救われたいと思いもしない。最愛の息子は守れなかった、愛する家族は死んだ、自分は時代に取り残された気がしている。姪はしっかりしているから、自立してひとりで生きていくだろう。仕事? 今や仕事こそ、最大の過去の重荷ではないか。あんまり虚しさが深いと、人は愚痴などという日常の遊戯など、口にすることさえ忘れるのね。いい女優さんだったわ。

 

 

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