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特集「ザ・クラシックス」

2015年12月3日

特集「ザ・クラシックス3」③
草原の輝き(1961年 青春映画)

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監督 エリア・カザン

出演 ナタリー・ウッド/ウォーレン・ベイティ

シネマ365日 No.1588

高齢社会の金字塔映画

特集「ザ・クラシックス3」

半世紀以上前の名作を取り上げるからには、いまさら本作のキーワードである「性道徳の時代差」を言ったって仕方ない。時代とはいつも「そのときの現代」なのだから、今と較べて感じる「隔世の感」をかみしめるしか、主人公たちの悲しみを理解することはできないわ。ディーン(ナタリー・ウッド)も、バッド(ウォーレン・ベイティ)も時代の子だった。彼らの両親がやや誇張された役割を与えられているけど、倫理観とか、家庭観とか、男女の性差とか、いちがいに古いといって片付けられないわ。バッドの親父は金権主義の権化で、彼は「息子がつきあっている相手は雑貨屋の娘」だから、結婚してもひとつも得にならん、それより息子の希望を無視してでも、名門大学に入学させ、家業に有利な資本家の娘と結婚させたい。性欲に悶える息子には、男親だからよく理解し「その道の女とわりきったつきあいをしろ」と言う。こういう親父、いまでもフツーにいる▼女親にしても貞操観念で娘をがんじがらめ。もう少し娘の身になってやれないものかと思うが、彼女らが受け継いできた社会通念からすれば、婚前交渉など神を恐れぬ行為であり、間違いから娘を守るのが親の、とくに母親の務めだったのだ。だれが彼女らを責められよう。一言で言えばディーンとバッドは「青春の蹉跌」だった。同じようにセックスにジレジレしながらも、だまし、だまし、なんとか乗り切った若いやつもいるだろう。いや、ディーンとバッドだって、家族の自殺とか、自身の精神の障害とか、傷ついた代償を払い、痛い目をして乗り切ったことは同じなのだ▼それより、この映画を見直して、これこそ高齢社会の金字塔たる作品ではないかと思った。ワーズワースの頌歌は高々とこう歌い上げるのだ。「はなやかなり、草原の輝きも、花々の栄光も、返すすべなくとも嘆くことなかれ。その奥に秘めたる力を見出すべし」…若いときは放っておいても元気を回復するのである。そんな連中にこの詩は必要ない。力が弱り、昨日できたことが今日はできなくなり、つくづく自信喪失している高齢者こそ「秘めたる力」に思い及ぶべし。シュワちゃんも「ターミネーター5」で言っているではないですか。「年は取った。だがポンコツではない」。彼こそ「草原の輝き」現代版ヒーローとしてよみがえるべきである。ディーンは若い医師と結婚が決まったからバッドに会いに行くのであって、これがまだまだ、独身者への冷たい視線を浴びねばならぬハイミスの立場であれば、絶対に行かなかったわよ。それくらい既婚・未婚は女の社会的立場に絶対的な影響力を持っていた。今だってそうだわ。だからこの映画、案外古くなんかなっていないのよ。精神病院のお医者さんが「バッドに会って決着をつけなくていいのかね。恐怖は直視すれば消滅するよ」という助言は、その文言だけ取り上げれば正しいけど、やっぱり男の理屈よね。東洋にあるこういうときのリスク回避「君子、危ウキニ近ヨラズ」を、わたしの娘になら言うわ。いい男なんかあとからいくらでもでてくるわよ▼「秘めたる力」がどんな力かは個々の問題ね。しかし、まず自分にそれがあると思えなければ、どんな力だってないにひとしいのよ。それを「見いだせ」と詩は力強く命令してくれている(笑)。エリア・カザンの青春ものでは「エデンの東」と双璧ね。ナタリー・ウッドにしても彼女の代表作に恥じない。ウォーレン・ベイティはこれがデビュー作。父親に頭があがらず、イェール大学に進学させられたのはいいがひとつも勉強せず、退学。学食のウェイトレスを妊娠させ結婚した、父親は世界恐慌のあおりで飛び降り自殺。貧乏になった息子はしかし夢だった牧場で、妻子と平穏に暮らす。ナタリー・ウッドに較べて影の薄かったけど、よく演じていたわ。

 

 

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