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特集「ザ・クラシックス」

2015年12月9日

特集「ザ・クラシックス3」⑨
スキャンダル(1976年 社会派映画)

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監督 サルヴァトーレ・サンペリ

出演 リザ・ガストーニ/フランコ・ネロ

 

シネマ365日 No.1594

さあ、早く抱いて

特集「ザ・クラシックス3」

胸が悪くなるような映画とはこれをいうのね。時代は第二次世界大戦のさなか、フランスの田舎プロバンスで薬局を営むエリアーヌ(リザ・ガストーニ)は、大学教授の妻。地元の上流階級のひとりだ。薬局の雑役夫アルマン(フランコ・ネロ)は女店員ジュリエットと女主人の目を盗んではンニャンニャ。アルマンは体中からぷんぷん精液の臭いを発散し、ジュリエットはそんなアルマンに抱かれるのがうれしくてたまらないというふうな、よく似たふたりである。ある夜シャッターをおろした店の暗がりで、アルマンはジュリエットとまちがえエリアーヌを抱きすくめる。エリアーヌは驚いてその場から逃げるが騒ぎ立てなかった。エリアーヌの夫は美術骨董の収集に血眼で妻とは長年没交渉。エリアーヌが無意識に反応した手応えにアルマンは気づき、ある夜強引に迫る。以来彼女はアルマンの性の奴隷となる▼サンペリ監督は本作の3年前に、上流社会の家族制度を攻撃し、論争を巻き起こした「青い体験」を撮っています。1970年代はイタリア映画界にとってどんな時代だったか。低コストで製作されるエロティック路線が発展し、興行で成功を収め確実な収益を保証する映画となりました。この路線の口火を切ったのはアレッサンドロ・ブラゼッティの「夜のヨーロッパ」(1959)です。女性の肉体を生々しく取り上げ、タイトルも次第にエスカレートし、ズバリセックスを標榜した「世界のセックス」「セックスと興奮」や、ドキュメントを装ったヤコペッティ監督の「世界残酷物語」(1962)が大成功を収めました。1970年代にはいりパゾリーニ監督の「デカメロン」が40億リラ(当時)を超える大ヒットを飛ばします。これを機に伝統ある古典文学のテキストに準拠したエロティック路線が拡大しました。しかしまもなくこの路線は飽和状態を迎え頭打ちになります。そこへサンペリ監督は、古典でもドキュメントでもなく、家族というだれも手をつけなかった分野をとりあげました。カメラは家庭の中に入って行ったのです。愛と安らぎに満たされるはずの団欒の世界に、乱交やサドマゾはタブーだった。しかしいったんタブーが解き放たれてしまうと、家や家族は恐怖の場となり考えだされるあらゆる性的倒錯は発車オーライ、美しい未亡人、クールなキャリアウーマン、制服の処女、家政婦、女教師という範疇は「倒錯なんでもアリ」に組み入れられていきました。しかもサンペリ監督は学生時代から反ブルジョワの先鋒でした▼ここまで書いておいていきなり無責任なこと言うようだけど、監督の主義主張がどうだろうとそれはそれでいいの。気に入らないのは最後までふみつけられる女を社会が当然視していることね。エリアーヌだってタカビーを無残に打ち崩されるのは、男を挑発し、自分から体を投げ出したツケですが、でも映画は結局「100ゼロで女が悪い」になっていない? だんだんエスカレートするアルマンのセリフを追っていくと「奥様はたいしたものだぜ。少し色あせているがまだ捨てたものじゃない。もう若くないし小ジワもあるが、乳もそう垂れていないし尻なんか見事なものだ。少したるんだ感じだが、子供を産んだからな」。聞いているジュリエットがアタマにきて「やめなさい、失礼よ」と制止するが「黙って見ていろ。これからだ。脱ぎな。よし、えらいぞ、どうだ、奥様は従順だろう。口の使い方もお上手だぜ」「いい加減にしてよ」アルマンの頬をひっぱたいて出て行ったのはジュリエットのほうである。ことほどさように監督はブルジョワを、もっというならブルジョワの女の存在を痛めつけるのだ▼それと男に服従する女って男の快感のさいたるものとして描かれているわ。アルマン「裸になれ」エリアーヌ「なるわ。この通りよ。さあ早く抱いて」「うるさい。パンティを穿け。靴も履いて外へ出て歩いてみろ」「歩くわ。言われた通りするわ」「おれがいいというまで店の外に立って行ったり来たりするのだ」アリアーヌは胸も露わなスリップ一枚で夜中の通りに立つ。まさか教授夫人がそんなことをしているとは思わないからどこかの娼婦が道にたっている、しかも裸同然でと噂は広がる。エリアーヌは夫アンリに言うのだ。「いつでもどこでもアルマンの言うことに従うわ。彼の奴隷になって服従の喜びを知ったのよ。息をするなといわれたら息を止めて死ぬわ。アンリ、わたしはすべてを告白したわ。あなたは何もしないのね。可哀想な人。おやすみなさい」夫は妻の言葉を聞きながら涙を流す▼ヨーロッパ男の帝国主義的発想に対して、マゾヒズムとは、自我を守るためにどのような幻想を演じられるかという、本質的に劇場的な欲望であると書いたのはジョン・K・ノイズでした(「マゾヒズムの発明」)。でも被虐、抑圧、服従が、女が身を守るための幻想どころか、欲望を超えた快感だとこの映画はしているみたいだわ。女が欲しがるから与えてやるのだというアルマンの前提がまかり通ったら、そら血の気の多い女は怒りますよ。女性解放運動が世界規模で一挙にもりあがったのは1970年代だった。ひょっとしてこの映画をみてからかなどと考えてしまったわ。

 

 

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