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特集「銀幕のアーティスト」

2015年12月26日

特集「銀幕のアーティスト5」③
百一夜(1997年 事実に基づく映画)

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監督 アニエス・ヴァルダ

出演 ミシェル・ピコリ 他

シネマ365日 No.1611

アニエスに最敬礼

特集「銀幕のアーティスト5」①

映画誕生100年を記念して、映画の化身「シネマ氏」(ミシェル・ピコリ)に、映画好きの女子大生カミーユが101本の映画について語り、100歳を迎えたシネマ氏を、おびただしい数の俳優が見舞うという形で、スクリーンに顔を見せる。ただし、ワンショットで終わる人もいれば、かなり(といっても数分)の時間登場し、セリフを与えられる俳優もいる。どこかで見たことがある、程度で終わる役者も少なくない。ハリウッドもカンヌも映しだされはするが、スナップ程度の扱いで、深い意味はないように思う。意味があるとすれば、アニエス・ヴァルダがこの映画に取り上げたか、取り上げなかったか、が最大の意味だろう。さらにいえば、取り上げたスターたちに出番を何分与えたかで、監督の思惑がわかる、そんなところだと思える▼これは珍しい、クリント・イーストウッドとカトリーヌ・ドヌーヴがカンヌでツー・ショット、でも特ににこやかなわけでもハグしているわけでもない。どんな話題があったか想像しにくい。クリントは愛想笑いをしてどっかに行ってしまった。その埋め合わせのように、ヴァルダ監督はドヌーヴと、ロバート・デ・ニーロのラブシーンもどきを撮っている。水たまりみたいな小さな池で、舳先がすぐ岸にゴツンとあたる窮屈そうなゴンドラで、ふたりがしゃべっている、と思うとデ・ニーロが池にドブン。くだらん。ところがまたもやドヌーヴはシネマ氏の憧れのスターとして幻のように出てくるのだ。しつこいな。ヴェルダの夫はジャック・ドゥミだ。蛇足もいいところだけど、ドゥミとドヌーヴは「シェルブールの雨傘」以来のコンビだ。だからヴァルダともドヌーヴは仲良しだったかもしれないが、食傷する。これならファニー・アルダンみたいに、スッと歩いてきてスッと歩み去ってくれるほうがよかった▼それになに、カミーユの恋人で、映画をつくりたい学生が、シネマ氏に会わせろとカミーユを口説いている。ヴァルダ監督の息子らしい。本筋に沿わないエピソードがいきなりはさみこまれて戸惑うわ。アラン・ドロンとジャン=ポール・ベルモンドは、どちらにも公平な扱いをという配慮なのか、同じくらいの数分間、登場するのだけど、ベルモンドはいかがわしい手品師、ドロンはシネマ氏が迎え入れない客。おしもおされぬトップスター、アラン・ドロンを「お前、おれに会うのは10年早い」とばかり追い返すのね。なんせシネマ氏は、映画の化身だからえらいのよ。ドロンは屋敷の壁にペタペタ貼ってある、ポスターや写真を丁寧に見る。ルキノ・ヴィスコンティがおり、「山猫」のポスターがある。「若者のすべて」でヴィスコンティのお気に入りになったドロンは、つぎつぎ大作、話題作、大監督に恵まれ、ビッグの座にかけのぼる。ところが「山猫」以後ドロンとヴィスコンティは袂をわかってしまうのね。一説ではギャラの値上げを要求したドロンに、ヴィスコンティが激怒したと伝わっている。本当かどうか知らない。ヴィコンティはミラノの城で生まれ育ち、スカラ座に自分の桟敷をもつ貴族だ。有り余る財産を惜しみなく自分の才能に注ぎ込めた。ヴィスコンティの住まいに招かれたドロンは、そこにある家具調度、絵画、空間に圧倒されただろう。ヴィスコンティが生まれながらに身につけた贅沢・教養・知性・社交、会話。ドロンはパリ郊外の乾物屋の息子だ。両親は不仲で家出同様、インドシナ戦線に行った。ヴィスコンティとはあまりにもちがいすぎた。でもいまは違う…自分を認めさせるいちばんの主張はギャラだったかもしれない▼ほかの俳優に、これといった物語のイメージはわかなかった。それぞれの出演者について、わたしよりもっと熱心なファンが見たら、それぞれに異なる物語を見つけられるだろう。あとで出演者の中にジェーン・バーキンがいたとか、レオナルド・ディカプリオもいたとわかって(へ〜どこに?)だった。アニエス・ヴァルダの作品は「幸福」と「カンフー・マスター」しかみていないけど、やっぱりカンヌ系というか作家系だな。彼女は今年(2015)87歳。ぐじゃぐじゃ言う前に、フランス映画史の生き証人に敬礼。

 

 

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